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狸谷山不動院 初不動 その1

2011年01月28日 23:47

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狸谷山不動院では、毎月28日は「お不動さんの日」として午前11時より本殿で護摩が焚かれます。
本尊である不動明王の降魔(ごうま)の利剣が一切の災いを打ち払い、その功徳にあやかろうと人々は参拝するのです。

なかでも1月28日は“初不動”として修験者が多数出仕し、厄難除けの大護摩供養が行われ、笹酒の接待も行われます。
笹酒の接待は「狸谷山飲み放題」と呼ばれ、護摩の火で温めた青竹の筒から注がれた笹酒を飲めば、ガン封じになると伝えられています。



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曼殊院通を東に進み、北白川通に出ると、「狸谷山不動尊」の看板が出ています。


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でっち羊かんで有名な「一乗寺中谷」さんを過ぎると、


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「一乗寺下り松」があります。
近江から比叡山を経て京に通じる交通の要所として、平安時代からこの松が旅人の目印として存在していました。現在の松は四代目になります。
また、宮本武蔵と吉岡一門が慶長9(1605)年に決闘を行った伝説でも有名ですね。

狸谷山不動院02920

NHK大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」(2003年)の頃は、多くの観光客が見られましたが、今はそう多くありません(ブームとはそんなものです・・・)。

このあたりには平安中期から中世にかけて「一乗寺」という天台宗の寺があり、その寺院が地名の由来となったようですが、南北朝の動乱期に廃絶しました。


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一乗寺はありませんが、看板からもわかるように詩仙堂、曼殊院、金福寺、圓光寺、八大神社、狸谷山不動院・・・と多くの寺院が点在しています。


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進んでいくと見えてきたのは、八大神社。

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宮本武蔵は、吉岡一門との決闘に向かう際、この「八大神社」で神頼みしようとしましたが、神仏に頼ろうとした自分の弱さに気づき、直前でやめたとの話も残っています。
決闘当時の松の古木の切り株は神社本殿の西に保存してあります。


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ずっと坂が続きますが、このあたりまでは車で上がってくることが出来ます。


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そしてあるのが、狸谷山不動院の駐車場で、自動車の交通安全祈祷所。
映画『パッチギ!』(井筒和幸監督、2005年)の序盤で、京都の朝鮮高校の学生が、長崎の修学旅行生のバスを横転させるシーンは、この駐車場で撮られました。


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駐車場を過ぎ、少し歩くと、ようやく石段が見えてきました。有名な250段の石段です(まあ、そう大したことはありません。むしろ曼殊院と北白川の交差点から、この石段の麓までの道のりの方が少しキツイです・・・)。


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石段の中ほどでは、弘法大師がお出迎え。弘法大師の足下には・・・、

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健脚祈願の小さなワラジがつけられています。


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ようやく左手に見えてきたのが、本殿です。この寺の見所は、なんと言っても、山の斜面に張り付くように建つ本殿でしょう。



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狸谷山不動院 初不動 その2

2011年01月28日 23:55

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見事な懸造建築。この本殿はそう古くはないようです。もちろん清水の舞台と比べるとスケールは小さいですが、山奥にあるこちらの方が幽玄な趣がありますね。


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本殿前には、雪が残っていました。


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境内には宮本武蔵が修行したという滝があります。案内書きによると、吉岡一門数十人との生死をかけた決闘の前に、この滝に打たれ「不動尊の右手に持する降魔の利剣の極意を感得した」んですって・・・(宮本武蔵は神仏にすがっていたのか、いなかったのか・・・)。
現在は、チロチロと申し訳程度の水が滴っておりました。


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初不動の参拝者のお目当ては・・・この笹酒の接待です。

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笹酒の効能はガン封じ。しかも終日、飲み放題です。ペットボトルなどの容器持参で参詣する人も多く、修験者が一人一人に振る舞ってくれますが、1メートルはあろうかと思われる長い竹筒は注ぎづらそう。


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ようやく、本殿に到着です。本殿がこのような高い位置にあるのには訳があります。
本尊の咤怒鬼(タヌキ)不動明王はもともと、桓武天皇の勅願により平安京の城郭東北隅に鬼門守護として祀られていました。それが鎌倉時代にはこの地の洞窟(現在の本殿の内陣)に安置され、都の人々の尊崇の的だったとか。
ま、洞窟の位置をそのまま本殿にしたので、懸造建築の本殿になったのです。


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本殿の端からは京都市内、洛北が望め・・・、おっ、京都五山の一つ「舟形」が見えます。


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扁額。鉦。香炉。大提灯。


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11時からの護摩焚きのため、本殿には多くの参拝者が集っていました。

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狸谷山不動院の縁起は・・・、
享保3(1718)年に木食正禅養阿(1688頃―1763)が、この地に17年間参籠し、狸谷山修験の先駆者となり、その後、修行場として周知されたようです。
(木食正禅は京都出身の念仏聖ですが、京都中を勧進してまわり、真如堂の阿弥陀如来像を造立したり、五条坂に安祥院を再興したり、数々の土木工事(日岡峠や渋谷街道の修築、さらには石橋や寺社の敷石などの改修)を勧進によって進めたエライ人なのです。)
明治の世になり、廃仏毀釈の影響で荒廃していたものを、徐々に地元の有志が山を整備し、昭和19(1944)年「修験道大本山一乗寺狸谷山不動院」として再興されました。



狸谷山不動院03105 狸谷山不動院03111

それにしても・・・、ほんといつ見ても、この本殿は、黒田硫黄の『大日本天狗党絵詞』に出てくる伊豆にある寺を思い起こさせます。

大日本天狗党絵詞_0002

『大日本天狗党絵詞』が映画化となれば、ぜひ、この本殿で撮影してほしいものです。






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