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安寿子の靴 その5

2010年12月20日 00:37

安寿子の靴 唐十郎 1984年


創作短篇集『安寿子の靴』(文藝春秋社)が出版されたのは1984年10月。NHKでのテレビドラマ化と同時期でした。
表題作「安寿子の靴(やすこのくつ)」は単行本となる半年前に『小説現代』(1984(昭和59)年4月号)で発表されています。


当ブログでは、極私的テレビドラマ名作NO1の座に君臨する「安寿子の靴」ですが(笑)、小説の内容は、ほぼテレビドラマと同様でした(順序から言うと、テレビドラマが小説を忠実に再現したと言うべきですね)。

収録された他の作品の文体と比較すると、どうも「安寿子の靴」は脚本を書いた後に、小説風にアレンジしたのではないかとも思えます。もしくは初めからドラマ化を念頭に書かれていたのかもしれませんね。


さて、小説で改めてわかった設定は・・・。

主人公の15歳の少年の名は「としお」。漢字では「十子雄」と書きます。亡くなった姉が「安寿子(やすこ)」。「安寿と厨子王」から「安寿子と十子雄」です。

おませな少女と少年が出会う場所は、出町柳の三角州。

賀茂大橋よりDSC04438

少年はいつも急ぎの時は橋を渡らず、ズボンの裾をはしょって川を渡るのですが(まだ、三角州に亀の飛び石がなかった時代です)、その姿がかっこよかったので、少女は少年にまとわりつくのだと説明します。

また、ドラマで一カ所不思議だったのが、終盤、少女が少年の不良仲間・中畑の家に辿り着いたところでした。
少女を「迷子です!」と交番に突きだし走って逃げる少年。捨てた子が怖いのか、何度も複雑に道を曲がって中畑の部屋に辿り着きます。ところが、少女は交番から逃げ出し、少年を追って中畑の部屋に来たのです・・・。
少年が目を離している隙に、少女が赤い靴に嫉妬して、ポリ缶の中の籾殻を少年の布地の鞄に詰め込み、それが、穴の開いた布地から点々と、少年の歩いてきた道に繋がっていた、というオチだったのですが(笑)。小説もドラマを見ていない人には何のことかさっぱりでしょうけれど、設定が細かい。


しかし何故これほど、ディテールにこだわっているのに、靴を落としたのが深泥が池だったのかは疑問です。

題名にある靴とは、2年前、今は亡き姉に日頃の仕送りのお礼を込めて、少年が夏休みのバイトで稼ぎ贈った薄紅色の靴のこと。鴨川の川上にある深泥が池のボートの上で、姉を喜ばせようとしたものの、喜びすぎてはしゃいだ姉が、片方の靴を池に落としてしまうのですが・・・。

これが上賀茂にある深泥が池です。

深泥ヶ池00684

周囲約1.5キロメートルの池というより沼ですね。
深泥が池が舞台となる、地元のタクシー運転手から語り継がれる“濡れた女性の幽霊話”はあまりに有名です。
ある雨の夜、びしょ濡れの女性客を乗せると、その女性は「深泥が池まで」と言ったままずっと後部座席でうつむいていた。到着して、運転手が振り向くと、女性の姿はどこにもなく、シートだけがただ濡れていた・・・という定番のお話です(笑)。

まあ、どうしてこの深泥が池が京都一の心霊スポットになったのかといえば・・・おそらく、池のそばに建つ京都博愛会病院が関係してもいるのでしょう(病院関係の方、憶測で書いちゃってごめんなさい)。
もともと、昭和3年に結核療養所の「京都保養院」として開業し、昭和35年からは精神神経科病棟も開設しているこの病院。当時の結核は死に繋がる病であり、さらに数十年前といえば精神科に対する偏見も大きかったでしょうし・・・。人の偏見や心の闇が幽霊話を作り上げたと考えるのも、決して乱暴な話でもないでしょう?

さて、ドラマの時にも書きましたが、この池はボートに乗って遊ぶような優雅な池ではないのです。実際、ドラマではすぐ近くの宝ヶ池で撮影していたのですからネ。


ドラマで姉の安寿子を演じたのは小林麻美でした。小説では姉の面影はほとんど描かれず想像しづらい中で、登場場面は少ないながらも小林麻美の薄倖じみた雰囲気がドラマには良い演出だったと再認識出来ます。



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安寿子の靴 その6

2010年12月20日 00:38

安寿子の靴_0001


唐十郎の文章に触れるのはこの作品集が初めてだったのですが、この人、天才ですね(単なるエキセントリックなおじさんだとばかり思ってました・・・)。

唐十郎は1940(昭和15)年、東京生まれ。明治大学文学部演劇学科を卒業し、1963(昭和38)年に劇団「状況劇場」を結成。演劇活動にとどまらず、1983(昭和59)年には『佐川君からの手紙』で第88回芥川賞を受賞しています。


『安寿子の靴』には表題作を含め、全8編の小説が収録されていて、その他の舞台はどれも京都ではないのですが、少し紹介を・・・。

「伸子の帰る家」(『文學界』昭和58年3月号)   タクシーにただ乗りして捕まった“刑務所志願”の女。小さな新聞記事に載っただけのこの女に、興味を持った男。彼が女を乗せたタクシー運転手から事件の顛末をスナックで聞きだすというだけの奇妙な作品。

「愛咬」(『小説宝石』昭和58年10月号)   自殺志願者のモデル。このワガママな女は躁鬱に悩まされたある夜、当てずっぽうに電話をかけ、見知らぬ相手に「今、自分は死ぬところだ」と伝える。そして、嘘を重ねた末、何故かその電話相手が飼っていた文鳥の死骸を葬る羽目に・・・。そんな自由奔放で憎めないモデルの話を、友人の男が下北沢の踏切近いスナックで聞いているという話。

「スッポンポン」(『小説現代』昭和58年6月号)   熱海の温泉街にある中華そば屋の二階の窓を感慨深げに眺める男。男は8年前の3日間だけその部屋にいて、駆け落ち同然の女の帰りを待っていた。結局、女は戻ってこず、今では中華そば屋もつぶれていた。しかしその二階の窓から赤いカーテンがはためいているのが気に掛かる。女を待ったかつての部屋がストリップ部屋になっていて、ベテランの踊り子に軽くあしらわれながら、待った女の面影を想う男の物語。

「感傷鬼」(『文學界』昭和58年12月号)   かつて住んでいた長屋の裏露地にやってきた男。目的は20年前、土中に埋めた日記を掘り起こすためだった。その日記の中には一週間で三人の女性に書こうとした恋文の下書きが含まれていた。一人目は町内の角に住む印刷工場の娘、二人目は長屋にいる双子の娘の上の方、三人目は神社の下のバラックに住みついた目のきつい長女。しかし日記は既になく、誰かに拾われ捨てられでもしたのだろうと立ち去る男。そこに偶然通りかかったのが、かつての顔なじみの酒屋の御用聞き。なんと、日記はその御用聞きに拾われていて、大切に保管されていたのだった。男の代わりに三人の女性を見守ってきた御用聞きの口から明かされる、三人の女性の現在とは・・・。

他に、「水陸両用の女」(『オール讀物』昭和59年8月号)、「片腕」(『文學界』昭和58年6月号)、「便利屋」(『小説現代』昭和59年9月)。


奇しくも、芥川賞を受賞した前後に発表された小説群ですが、発想がどれも奇抜でおもしろいのです。
惜しむらくは、この装幀。唐十郎や寺山修司に関わる美術舞台を手掛けていた合田佐和子氏の装画も含めて、あまりに地味すぎます・・・。





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