--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

千本釈迦堂(大報恩寺) その1

2010年12月08日 00:06

千本釈迦堂(大報恩寺)

千本釈迦堂DSC05081


京都市上京区にある大報恩寺。通称、千本釈迦堂はさして大きなお寺ではありません。普段はひっそりとし、地元民の散歩姿すら、そう見かけないこのお寺。しかし年に三度ほど、境内が人で溢れます。
その三度とは、節分会、陶器市、そして大根焚き、です。

京都で節分会といえば吉田神社があまりに有名ですが、ここ千本釈迦堂の節分会もなかなかの迫力です。

夏の陶器市(7月9日~12日)は五条坂とならぶ二大陶器市らしく(いや、規模は全然違います(笑)。五条坂の陶器市は500軒もの露店が並び、千本釈迦堂は所詮、一寺院の狭い境内で行われているだけで、20軒ほどですから・・・)、7月10日には陶器供養会も行われます。


そして、京都の冬の風物詩となっているのが、12月7、8の両日に催される大根焚きです。

千本釈迦堂DSC05084
〈門の外まで、大根焚きを求める行列は続いています〉

仏教で12月8日といえば釈迦が悟りを開いたとされる日で、成道会が各寺院で営まれますが、千本釈迦堂ではこの日に大根を食べ中風などの厄除けとするのです。その起源は鎌倉時代にさかのぼり、同寺の三世・慈禅上人が大根の切り口に梵字を書いて魔除けにしたのがはじまり、だとか。

千本釈迦堂DSC05102
〈写真は聖護院大根こと、淀大根。京都の南部・淀でつくられるので淀大根です。毎年5千本が用意され、大鍋で炊かれた大根を境内で食べるだけでなく、祈祷した大根を買って持ち帰ることもできます〉

お椀一杯、1000円。境内は信心深いお年寄りと、冬の暗い装いと、あいにくの天気で、どんよりとしておりました。



スポンサーサイト

千本釈迦堂(大報恩寺) その2

2010年12月08日 00:11

さて、千本釈迦堂の冬の風物詩はこれくらいにして、このお寺で有名なのが“おかめ伝説”です。
そう、「ひょっとこ」「おかめ」の「おかめ」ですね(笑)。「お多福」とも言います。

千本釈迦堂DSC05095

鼻が低く頬とおでこが丸く張り出した、ひょうきんでふくよかな女性の顔を思い浮かべるかもしれませんが、この伝説は美しくも悲しい賢妻の物語なのです。


鎌倉時代の初め、西洞院一条上ルに長井飛騨守高次という洛中洛外に名の聞こえた棟梁とその妻・阿亀(おかめ)が住んでいました。
ちょうどその頃、義空上人(藤原秀衡の孫)が千本釈迦堂の本堂を建立することとなり、高次が総棟梁に任ぜられ造営工事を着々と進めます。ところが、何を思ってか、信徒寄進の四天柱の一本をあやまって短く切り落としてしまったのです。

千本釈迦堂DSC05087

憂い悩む夫の姿をみた妻の阿亀は、かつての古い記録を思い出し「いっそ斗栱(ときょう)をほどこせば」と助言します。斗栱とは柱の上や内部天井のまわりに見える木組のことです。そして、阿亀の助言のおかげで、無事見事な本堂の骨組みが完成しました。
安貞元(1227)年12月26日、上棟式が行われましたが、そこに阿亀の姿はありません。なんと彼女は自刃して果てていたのです。
女の提言で棟梁としての大任を果たしたということが世間に漏れ聞こえては、夫の沽券に関わると懸念したのでしょう。

高次は上棟の日、亡き妻の面を御幣につけて飾り、冥福と本堂の完成を祈り、また妻を弔うため境内に宝篋印塔を建立しました。そして宝篋印塔は、いつからか「おかめ塚」と呼ばれるようになりました。

千本釈迦堂DSC05096 〈千本釈迦堂の本堂(国宝)〉

さて、この本堂は応仁の乱の戦災でも焼けることなく創建当時の姿を残し、洛中最古の建造物として国宝に指定されています。
戦乱の災厄を逃れた本堂と結びつき、火災除け、家内安全と繁栄を祈って祭る「おかめの面の上棟御幣」は現在も京都を中心に上棟式で見られ、招福のおかめ信仰が根づいていることをうかがわせているのです。

千本釈迦堂DSC05090 〈昭和54年に建立された阿亀の大像〉





Twitterボタン

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。