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堀川東入ル その1

2010年11月18日 00:16

堀川東入ル 澤野久雄自選短篇集 澤野久雄 1978年

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澤野久雄という作家を、今、どのくらいの人が知っているのでしょうか。

自分は恥ずかしながら、映画『夜の河』(吉村公三郎監督)の原作者というくらいの知識しか持っていませんでした。
それでも1960年代には、澤野久雄原作のドラマが数多くつくられていたようで(「翡翠」、「火口湖」、「受胎告知」、「夜の河」、「五条坂」、「落葉樹」etc)、当時は流行作家のひとりであったようです。

この『堀川東入ル 澤野久雄自選短篇集』を読んで・・・、これほど文章のうまい人がいたのかと、驚いてしまいました。

文体は、当時、可愛がられていた川端康成に似ているとの評判だったようで、それが作家の評価の妨げになったのかも知れません。
今の時代に、もっと知られていてもおかしくない人だと思うのですが・・・。


澤野久雄は、1912年生まれ。早稲田大学を卒業後、都新聞(今の東京新聞)を経て、1940年、朝日新聞社に入社しました。
1949年、藤沢桓夫の同人誌『文學雑誌』(5月号)に発表した「挽歌」が芥川賞候補となり、その後、「方舟追放」(『改造』1951年11月号)、「夜の河」(『文學界』1952年11月号)、「未知の人」(『文藝』1955年2月号)と四度、芥川賞候補にノミネートされますが、ついに受賞には到りませんでした。1959年には朝日新聞社を退社し、専業作家となり、1992年に亡くなっています。


『堀川東入ル 澤野久雄自選短篇集』には8つの短編が収められています。
澤野久雄は京都に魅せられた作家のひとりで、京都を舞台に何十編もの小説を書きました。『堀川東入ル』所収の作品もすべて京都が舞台で、主人公が職人、もしくは職人の家に育った人物なのです。染色、陶器づくり、窯焚き、人形づくり、紐づくり、漆工、おこぼ(下駄)づくり、と。

時代は1950、60年代。戦争の影も薄れ、活況いちじるしくなる頃。
新しい生き方を模索する若者が出てくる一方で、古い時代とともに静かに町の片隅で生きている職人がいて・・・。
時代の過渡期を、あくまで外連味のないオーソドックスな文体で、そして何よりも町に根ざした“人”そのものを、生き生きと描いていることに驚いてしまったのです。

あとがきで、澤野久雄は語っています。
「なるほど京都といえば、山紫水明の地だ。春の花も秋の紅葉も、美しい。寺や庭にも、すぐれたものは少くない。しかし私は、京の美を支えるものは、こういう自然や建造物ではなく、実は、伝統的に美しいものを生み出して来た人びとだと思っている。最近、私は京都という地名を思いうかべると、その町の風物よりも、私がこの四十年間に出会つて来た数多くの京の人びとの、職人たちの、鋭い目や見事な手を目に描くようになつた。私は一人の作家として、その人たちに出会うことが出来たことを、何よりも有難く思つている。」

派手やかな京の町の風情は多く出てきません。しかし、町に生きる人びとの喜びや悩みや優しさや、そして恋慕の情なんていうものも、短い小説群の端々に柔らかくではありますが、ほとばしっているのです。




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堀川東入ル その2

2010年11月18日 00:21

さて、『堀川東入ル 澤野久雄自選短篇集』の所収作品は――

堀川で家業の京染めを営む紀和。若い女性の感性で、事業は手を広げ順調だった。その一方で、婚期を逃しつつある彼女には、密かに付き合う妻子ある大学教授がいた。仕事と不貞の恋との間で揺れる戦後の新しい時代の女心を描く   「夜の河」

清水焼の陶工の家に生まれた千穂。清水焼が滅びつつあることを感じた彼女は、養子・修二との結婚を拒み、フャッション・モデルの華やかな世界に飛び込んだ。陶器祭の日、偶然、ピアニストの西堂と会い、彼に心惹かれる。西堂と結ばれた翌朝、茶の間にあった新しい鉢を目にし、修二の才能を認める。が、もう遅い。父親の「滅んだものは、なつかしいものだ。」という清水焼を評した言葉の呪縛から逃れられないまま、モデルの世界で生きていくことを決意する   「五條坂」

40年間、五條坂で窯焚きの仕事に従事してきた五平。陶磁器店の主人・源一が倒れ、余命幾ばくもないと聞かされる。源一の妻・千加と五平は40年前、一緒に田舎から出てきた仲であった。二人の昔の関係を知っている五平の妻も今では千加とは姉妹のように仲がいい・・・。世評に上る陶器や陶工の陰で、全く人目に触れられない窯焚き職人。その人生を垣間見せる   「晩年の石」。

他に、「雙面」、「正倉院の藍」、「花と雪」、「回転木馬」、「遠い音」の8編。

棗は、友達の部屋の、洋風の卓子の上に置かれていた。未樹はゆつくりと、手を伸ばそうとした。と、不意に桜の花びらが一枚、身をもみながら窓から降つて来て、棗に触れようとして触れられずに、卓の上へ落ちていた。しかしそのはなびらの身のこなしは、一瞬、未樹の手を遮ろうとしたかのようだつた。   「花と雪」より
20歳の頃の未樹が、友人の家で、慕っていた職人・佐伯がつくった“棗”を見つけたシーン。漆工の娘・未樹と佐伯は恋仲だったが、師匠である未樹の父親に関係がばれて叱責を受けた末、佐伯は一年前に姿を消していたのです。

じつと相手の目を見ると、その目の中で影がゆれている。泣くのかと、憲吉は胸をさわがせた。そこへいきなり、硝子窓を打つて来た時雨だった。あるいは降り出したばかりの雨が、すでにれん子の目に映つていたのかもしれない。雨の流れる硝子を通して、町はさむざむと濡れている。   「遠い音」より
四條の呉服屋「大吉」の娘・れん子が、今は小料理屋の女将となり、その娘が今度、舞妓に出ることとなった。かつて、れん子に憧れていた下駄職人の憲吉が、れん子の長い月日の苦労を慮っている場面です。


まあ、文章の良し悪しの主観は、あくまで好みの問題ですが、いい小説ばかりです。


この『堀川東入ル 澤野久雄自選短篇集』を出版したのは、エポナ出版。収められた物語と同じように、地味ながらも装丁と組版が、とてもいい仕事をしているのです。しかし、この出版社もすでにないようですね。

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〈「雙面」の舞台となった寺町御池。中年で独身の奇妙な姉弟が営む人形づくりの家があり、そこに弟子入りした若い女性の苦悩を描いています〉




失踪 その1

2010年12月06日 01:05

失踪 澤野久雄 1970年

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長編小説『失踪』は、1969(昭和44)年4月から9月まで朝日新聞夕刊に連載され、翌年、単行本として出版されました。
朝日新聞東京本社学芸部に勤務していた澤野久雄が新聞社を退社し、専業作家になって10年経った56歳の時の作品です。


いきなりですが、単行本のあとがきから――。
◇この小説が終って二日後の同じ新聞に、私は作品のあとがき風のものを書いた。その中に、こういう数行がある。
『今日、人間はそれぞれの内部から、人間として大切な何かを失いつつある。その結果、私たちはしばしば、自分自身をさえ裏切ってしまうような危険にさらされている。』
その、何かに失われてゆく状態が、私に「失踪」という題名を選ばせた。小説では、「マルセル」の盗難事件を扱っている。最後には、志摩という女の生命も失われた。しかし私の書きたかったものは、そういう出来事そのものではない。現代人の中から、失われてゆくものと、その失われてゆくことの恐怖。

あとがきにあるように、前年12月に京都国立近代美術館でおこった「マルセル盗難事件」が、この『失踪』というフィクションでは重要なモチーフとなっています。

といっても、連載当初はまだ事件発生から4ヵ月後のこと。捜査の進展もなく、ましてやその7年後にロートレックの名画「マルセル」が発見されるとは、誰も思わなかったことでしょうに(笑)。


さて、この『失踪』。小説としての評価は・・・、難しいですねえ・・・、澤野久雄作品としては凡作の部類でしょうか(失礼)。かといって、駄作だと言い切る自信もないのです。

それまでの京都を舞台にとった短編小説の数々は、職人の生き生きとした“個”の生活が見事に描かれ、感嘆したものです。
そして『失踪』の主人公・古屋志摩も女性ながら上絵師として着物に紋を描く職人の設定なのですが・・・。

新聞の連載小説のもつ難しさでしょうか・・・、“人”が描けているかといえば、短編の作品群に比べ描けてはおらず、物語の推進力をつけるための強引な展開や、登場人物のカマトトぶりが少し目立つのです。

作者の「マルセル盗難事件」に絡めて、『失踪』という題名に懸けた思いは、十分わかるのですがねえ。



失踪 その2

2010年12月06日 01:07

古屋志摩は三十歳の出戻りで、家業である上絵師を継いでいる。若い職人の菊子とふたり、西洞院にある京町家の虫籠窓の奥で日々、着物に紋を書きつけていた。
離婚の原因は夫の浮気。一年半前に飛び出してきた東京の婚家にはひとり息子の幼い亮を残していた。

彼女の仕事場を月に二度ほど訪れる男があった。東京に住む苗場弥五である。志摩より三つ年上で、知人の結婚披露宴で知り合った。
志摩ははじめ、苗場のことを煙たがる。苗場は資産家の息子で、現在は会社勤めをしているらしいが、どんな職種かは志摩も知らない。ただ、月に数度の関西への出張の際には彼女の仕事場に顔を出すのだった。

ある日、志摩は仕事部屋で胸騒ぎを覚える。部屋には由緒ある紋所を描いて納めた額が掛かっているのだが、その文様を染めた古い布地が額の中で傾いていたのだった。
志摩は額の裏紙をはずした。すると、その下から古びた厚紙が現れた。ロートレックの「マルセル」であった。
見覚えのある、女の横顔だった。鋭い鼻梁。しっかりした、顎の線。白と薄い青とが、古いカルトンの上では妙にみずみずしい。(本文より)

果たして、この「マルセル」は、本物なのか贋物なのか・・・。

かつて、苗場との食事で、彼がロートレックについて熱心に喋っていたことを思いだす。そして、以前、志摩の仕事場で、額を嶮しく見つめていた姿もあった。絵を隠したのは苗場に違いなかった。

「マルセル」を通して苗場という存在が、自分の身近に飛び込んできた錯覚に陥り、次第に苗場のことが頭から離れなくなる。
さらに、ふとしたことから、息子が小児喘息にかかっていることを知り、その日から、寝ても醒めても思うのは息子のこと。

眠れぬ夜に、「マルセル」を取り出し、眺めると気も紛れた。むしろ、仕事が遅くなって、「マルセル」に会わずに寝ると、苗場の姿が目に映り、息子の咳き込む声が響くようになる。彼女はその絵にとらわれていた。

結局、「マルセル」は本物で、苗場自身が盗んだものだった。どうして盗んだのかは、苗場自身にすらわからないという。
しかし、志摩もそんな苗場を責めることは出来ない。
自分の部屋にある「マルセル」を、本物ではないかと疑っていた間も警察に届けなかった。苗場の言う通りコピイだと思い込むようになった。同じ部屋で仕事をする菊子にも言わず、額縁の裏に秘めておいていたのは、その絵を本物だと気づいていたからではなかったか、と。

部屋に「マルセル」を置き続けていたことは、彼女の中で人間として、社会人として何かが脱落していた。“失踪”してしまっていた。彼女自身が、襤褸のように穴だらけなのであった。そして、その穴からは、貴重な物がみな、“失踪”してしまっているようだった。

盗んだ朝のことを説明しようとする苗場。しかし、志摩はその言葉を遮る。
おそらく朝の美術館の空気というものが、苗場の中から何かを失わせていたのであろう。苗場がマルセルを盗み出したのは、その、「何かが失われていた」という状態に、彼が陥っていたからにちがいない。その時、彼はあるいは何者かによって、全く別の世界へ拉致されていたのかもしれない。すると、この盗みには動機を求めることは出来ない。(本文より)


   まあ、このあたりが、題名『失踪』に込められた主題なのです。

ただ、最後に、河原町の四つ辻で、歩行者信号を見て青だと思い横の車道を渡ろうとして、車にはねられ死んでしまう主人公の最期はいかがなものでしょう。
もちろん、「マルセル」を持ち続けていたことへの罰の意味ではあったのでしょうが・・・。

物語の安易な終わらせ方に、“夢オチ”と“主人公の死”というものがありますが・・・、なんだか視聴率低迷のメロドラマの打ち切りみたいで、少し残念なような気がしないでもないですね。


20101127150608fc4[1] 〈三条神宮道〉
右手、通りに面した家々の背に、影のような木立が見えて来た。青蓮院の、楠の繁みである。雨のあとだった。湿気が多い。楠の繁みは煙ったように拡がって、まとまりがなかった。曲がりましょうか、と、津川は言った。志摩は青蓮院の道に惹かれていたが、津川は左へ曲がろうというらしい。こちらへゆくと? 神宮通りです。いやあ、と志摩は声をあげた。疎水が目にうかんだ。大鳥居が大きすぎる。そしてその傍らに近代美術館。ロートレックが、盗まれたところだ。犯人は、美術館から疎水を渡り、仁王門通りを横切り、京都日冷の冷蔵倉庫前で、マルセルの額縁をはずして捨てた。すると、そのまま逃げれば、当然、いま志摩たちの立っているところを、走ってすぎているわけだ。

20101127150607881[1] 〈京都会館〉
その日から彼女の中には、京都会館の姿が、時折、影のように、うかび上がるようになった。花どきでもなければ、夜になってその辺りを歩くものは少ないであろう。広い二条通りの、清潔なたたずまい。大きな街路樹はゆったりと静まって、木々の葉は明るい街燈の光の中で、エメラルド色に透いて見えるかもしれない。周囲は、深閑としているだろう。そして会館は、新しいデザインを誇るあらけずりなコンクリートの建物だ。数多い脚柱の間からは、その奥に残されている、古い日本建築に見るような、破風のそった瓦の屋根が見えることだろう。その背は、平安神宮の森だ。






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