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古都 その1

2010年11月08日 00:27

古都 川端康成 1962年

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平安神宮の桜、御室での花見、葵祭、鞍馬の竹伐り会、祇園祭、大文字送り火、時代祭、北野おどり、事始め、北山しぐれ・・・。清水寺、嵯峨の尼寺、念仏寺、野々宮神社、植物園、高雄、北山、北野神社、上七軒、南禅寺、青蓮院、円山公園・・・。森嘉、瓢正、湯葉半、中里、大市、左阿弥・・・。
京都名所の幕の内弁当や~(笑)と言いたくなるような、京都の春夏秋冬、歳時記のオンパレードです。

しかもその内容は――
捨子ながらも裕福な呉服問屋の一人娘として美しく育った主人公・千重子。
ある日、友人と訪れた北山杉の里で、自分と瓜二つの娘・苗子を見かけます。
そして祇園祭の宵山の夜、四条にある八坂神社の御旅所で“七度まいり”をする苗子と偶然再会し、自分が双子であったことを知るのです。
産みの両親は苗子が幼い時に亡くなっていて、苗子はひとり、つつましやかに山の仕事に勤しんでいました。
千重子は苗子を不憫に思い、両親に一緒に住まわせてほしいと相談し、優しい両親は喜んで快諾します。
しかし、苗子は千重子との身分の違いと、世間の目を気にして、好意を遠慮してしまうのです。
ただ一度だけ、千重子の家へと人目を忍んで夜遅く泊まりに来ますが、翌朝早くに千重子をゆりおこし、「お嬢さん、これがあたしの一生のしあわせどしたやろ。人に見られんうちに帰らしてもらいます。」と帰って行きます。
「また、来とくれやすな。」という千重子の言葉には首を振り、見送る千重子を振り向きもしないで――。


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〈物語の舞台である北山杉の村は、京都市街の西北約20kmに位置する北山地方、現在の京都市北区中川を中心とする地域〉


現実にはあり得ない話の内容と偶然の連続です。
三流の少女マンガだってもう少しマシなあらすじを考えます。
一歩間違えれば、陳腐な京都案内になりかねず、通俗小説と批判する人も出てくるでしょう。

初出は、1961年10月から1962年1月までの107回にわたり『朝日新聞』に連載され、同年、単行本として出版されました。
単行本『古都』のあとがきで、川端康成は語っています。
長年服用していた眠り薬が、『古都』執筆中には濫用状態となり、連載が終わったのを機に服用をやめた。すると、たちまち激しい禁断症状を起こして緊急入院し、10日間ほどの意識不明に陥った。
「私は毎日『古都』を書き出す前にも、書いているあいだにも、眠り薬を用いた。眠り薬に酔って、うつつないありさまで書いた。眠り薬が書かせたもようなものであったろうか」。そして『古都』を「私の異常な所産」と位置づけ、読み返すのも不安で出版もためらわれた、と。


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〈北山杉は室町時代の初期より作られはじめ、茶の湯の流行で起こった数寄屋建築に用いられることで、生産が促されました。現在、「京都府の木」に選定されています〉


次々と挿入される京都の祭りや名所の数々ですが、その淡々と移り変わるシーンは、静かなスライド映写機で映し出されているようで、煩わしさも、嫌みも、くどさも感じさせません。

むしろ、あまりに予定調和的な物語のあらすじも、“現代のおとぎ話”、“夢物語”として見れば、読者にとってありがちな展開も納得づくの上で、小説世界に入り込めてしまうのです。
もしかすると、「うつつないありさま」で書いた作者が、そういう世界と作品の空気を無自覚に作り出してしまったのかもしれませんね。




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古都 その2

2010年11月08日 00:28

この作品に登場する人たちの、なんと優しいこと。
千重子も苗子もあまりにいじらしく、純情で、切なすぎます。

『古都』(新潮文庫)のあとがきで、文芸評論家の山本健吉は、
「この美しい一卵性双生児の姉妹の交わりがたい運命を描くのに、京都の風土が必要だったのか。あるいは逆に、京都の風土、風物の引立て役としてこの二人の姉妹はあるのか。私の考えは、どちらかというと、後者の方に傾いている」と述べています。

果たしてそうなのでしょうか・・・。


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〈中川の里を流れる清滝川。鳥獣戯画で有名な高山寺や神護寺のふもとを通り、嵯峨清滝、水尾を越え、保津峡へと流れ注ぐ〉


1899年生まれの川端康成ですが、彼は幼くして近親者を次々と亡くすという不幸に見舞われています。
1901年に父が、翌年には母が。その後、祖父と祖母とともに生活しますが、1906年に祖母が亡くなり、1912年には離ればなれで暮らしていた姉が、そして1914年に祖父もなくなり、16歳で天涯孤独の身になってしまうのです。

なんだか、作者の生い立ちが、小説『古都』の世界観と重なってしまうのです。


双子が忌み嫌われていた時代(やけに理不尽な時代です)。
生まれてすぐ裕福な呉服問屋の前に捨てられた主人公・千重子にとっては、産みの両親に大した感慨を持っていないことはうかがえます。
しかし、双子の姉妹が現れたとあっては、話は別です。
自分の両親がどんな人だったのか、どうして自分が捨てられたのか、知りたいことは次々と湧いてきます。
そして何よりも、捨てられたはずの自分の何不自由ない生活と比べて、ひとり山奥の村で生きている苗子を哀れに思い、一緒に住みたいと思うのは当然のことでしょう。


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〈「清滝川の両岸の山は急で、狭く谷に落ちている。雨の量が多くて、日のさすことの少いのが、杉丸太の銘木が育つ、一つの原因ともいう。風も自然にふせげているのだろう。強い風にあたると、新しい年輪のなかのやわらかみから、杉がまがり、ゆがんだりするらしい。」(本文より)〉


そして苗子は苗子で、ずっとどこかにいる姉妹のことを思い、冷たい山水と菩提の砂で杉丸太を洗う山仕事に従事して、山間の村で20年間ひっそりと生きてきたのです。
姉妹に会いたい一心で、祇園祭の宵山の夜、四条寺町にある「御旅所の神前から、いくらか離れて行っては、またもどっておがみ、それを七たびくりかえす」七度まいりをする苗子。
北山杉の里で、夕立の雷雨に遭い、青ざめて怖がる千重子に、「『千重子さん、膝を折って、小そうおなりやす。』と、苗子は言うと、千重子の上に重なって、ほとんど完全に、抱きかぶさってくれた」苗子。
そして、腕のいい機職人・秀男から求婚されるも、秀男にとって自分は千重子の幻でしかないことを悟っている苗子。
秀男との結婚は、取引のある織屋と問屋との関係から、千重子の両親が実の両親でないと世間に喧伝するようなもので・・・苗子には耐えられるはずもないのです。


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〈「そのままにしといたら、千年も、太って、のびるのやおへんやろか。たまに、そない思うこともおす。うちは、原生林の方が好きどす。この村は、まあ、切り花をつくってるようなもんどっしゃろ……。」(本文中の苗子のセリフより)〉


こんなにもいじらしく哀しい姉妹の物語が、「京都の風土、風物の引立て役」なのだったら、それこそ通俗中の通俗小説です。
肉親すべてを幼くして亡くしてしまったこの作者だからこそ、家族の絆や血のつながりのもつ悲喜を京都を舞台に書けたのではなかったかと、思ってしまうのです。

それにしても・・・あまりにスタンダードすぎる名作のよさを再発見し、恥ずかしながら思わず目から鱗が落ちちゃいました。




美しさと哀しみと その1

2011年06月16日 23:53

美しさと哀しみと 川端康成 1965年 

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『美しさと哀しみと』の初出は1961(昭和36)年1月から1963(昭和38)年10月まで連載された『婦人公論』。
1965(昭和40)年には中央公論社から単行本が出版され、同年、映画にもなりました(監督・篠田正浩、松竹)。

この作品の執筆時期は、川端康成の代表作である『眠れる美女』(1960年1月から1961年11月まで『新潮』に連載)や、『古都』(1961年10月から1962年1月まで『朝日新聞』に連載)の執筆時期と重なります。

文庫本のあとがきで文芸評論家・山本健吉が書いていますが、当時の出版業界では書き下ろしでの長編・中編が書かれるための条件が揃っておらず、雑誌への連載というかたちでしか長編を完成させることができなかったという事情があったそうです。
文豪といえども厳しい創作環境で、これらの作品をつくっていたとは驚きです。そして、時に、川端康成は還暦を超えていました。


この『美しさと哀しみと』は、川端作品の中でも、さして評価は高くないようです。

川端康成の作風は、叙情的な日本を描くスタンダードな作品から、エキセントリックな作品まで幅広く、
たとえば、スタンダードな作風で名作とされているのが『伊豆の踊子』『雪国』『古都』あたりだとするならば、エキセントリックな作風では『眠れる美女』が代表作、ということにでもなるのでしょうが・・・。本作はしいて言うなら“風変わり”の方に分類出来る一作です。


さて、そのあらすじは・・・。


鎌倉に住む作家・大木年雄はすでに妻子ある31歳の時、16歳の女学生・上野音子と関係を持つ。
そして音子は大木の子を流産し、そのショックから精神を患った。
心配した音子の母親により、大木の元を離れ、京都に移り住み、40歳となった今では画家として生計を立てるまでになっていた。

大木は音子との関係を私小説として発表し、小説家として名声を得ていた。
そんな大木が音子の元へと久しぶりに逢いに来た。
しかし、音子は二人きりで逢うつもりはなく、美しい女弟子の坂見けい子が付き添う。

音子とけい子は単なる師匠と弟子の関係ではなく、同性愛に近い愛情関係で繋がっていた。
そして、けい子は愛する音子をおとしめ辱めた大木に復讐すべく、彼に近づく。

京都から大木の住む鎌倉まで自作の絵を持って行き、彼を誘惑し、一晩をともに過ごす。
さらには大木の息子で大学講師を勤める太一郎までをも誘惑し・・・。



残念ながら、川端作品の中では、よくできた小説とは言えないです。

小説中に出てくる、太一郎が父親に語る「和宮の墓を発掘したときのエピソード」。その話自体には面白みがあるものの、本文中に持ち出す意味があるのかどうか・・・。

さらには、けい子が大木とも息子・太一郎とも関係を持ちますが、大木には決して左の胸を触らせず、太一郎には右の胸を触らせず・・・? しかもその理由を最後まで明らかにしません。

そしてなんと言っても、音子の行動や感情が宙ぶらりんすぎるのです。
けい子に復讐をさせたいのか、させたくないのか。大木にいまだ未練を持っているのか、いないのか。けい子に同性以上の愛情を持っているのか、いないのか・・・。



官能に走るのならもっと官能的に、狂気に走るのならもっと狂気に、振り切って描ききれなかったところが、評価の低さに繋がっているのではないでしょうか。





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