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先斗町 十五大明神 その1

2012年02月12日 22:04

先斗町 十五大明神

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「富士の高嶺に降る雪も~京都先斗町に降る雪も~」の『お座敷小唄』でお馴染み、先斗町(ぽんとちょう)。

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北は三条通一筋南から、南は四条通までの南北500メートル。東は鴨川から西は高瀬川までの東西50メートル。
とにかく南北に細長く、雨の日は人がすれ違うのも難儀する細い道を中心としたここが、京都の誇る花街の一つです。

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この町が出来たのは鴨川の大規模な改修工事が行われた、寛文10(1670)年。

鴨川と高瀬川に挟まれた町の形状が、細長くて“先端”のようであったから「先斗」と名づけられ、「ぽんと」という珍しい読み名は、

ポルトガル語の「先」をあらわす「ポント」(英語では「ポイント」)をもじって・・・だとか、
鴨川と高瀬川の間にある「堤(つつみ)」のような形から、「鼓(つづみ)」にひっかけて、鼓の音が“「ポン」と”鳴ることから・・・だとか、
鴨川の「かわ」つまり「皮」と、高瀬川の「皮」に挟まれた町を「鼓」にたとえて・・・など諸説。

どちらにしても、のちに花街となる町の名としては、粋な命名のされ方ではありました。

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先斗町に初めて水茶屋が設けられたのが正徳2(1712)年の頃で、高瀬川を行き来する高瀬舟の船頭や旅人のための旅籠が建ち、旅籠には茶立女(遊女)が置かれ、文化10(1813)年には公に芸妓渡世が認められます。
鴨川を隔てて東にある祇園とならぶ花街となるものの、格式張った祇園に対して、先斗町は庶民的な雰囲気を残し、幕末には多くの浪士が遊興にふける姿も・・・。

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ちなみに、先斗町の中ほどにある駐車場や公園は、太平洋戦争中の強制疎開によって削られたときの名残です。

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先斗町 十五大明神 その2

2012年02月12日 22:05

先斗町の最も北にあるのが「先斗町歌舞練場」。

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先斗町歌舞練場では毎年、5月に「鴨川をどり」が催されます。
「鴨川をどり」は、祇園の「都をどり」と起源が同じで、明治5(1872)年に東京奠都で落ち込む京都市民を元気づけるべく第一回京都博覧会の余興として裏寺町四条上ルの大竜寺(現在は右京区に移転)のそばで開催されたのが始まり。

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しかしその後、明治18(1885)年で一旦中止。
そして10年後の明治28(1895)年に平安遷都1100年を記念し、新築された歌舞練場で復活(現在の先斗町歌舞練場は昭和2(1927)年の再建)。現在にいたります。


さて、先斗町には東西に大小の路地がいくつもあって(その数、50にのぼるのだとか)、路地の入り口には親切にも「通りぬけできます」や「通りぬけできまへん」のかわいらしい看板が。ちなみに千鳥柄に付された数字は、その路地の番号を表します。

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そして、注目は先斗町の15番路地。

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その路地の中ほどにあるのが「十五大明神(そごだいみょうじん)」と呼ばれる小さな祠。

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祠といっても、そのいわれは新しく、昭和53(1978)年にまでしか遡りません・・・。

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昭和53年4月27日、この先斗町で大きな火災が起こりました。茶屋から生じたという火の手は、強い南風に煽られみるみる北にのび、偶然にもその火の手が止まったのが15番路地の南側。

ちょうど料理屋「ますだ」さんの店の手前で火は消え、その店の前に置かれていた信楽焼の狸の置物が真っ二つに割れていました。
そこで「ますだ」の女将さんが、狸の置物が身代わりになって火を止めてくれたと喜んで祀ったのが、この祠というわけです。

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華やかな先斗町の路地裏にある妖しげな祠が人気スポットになっているのは、貼られた千社札の多さからもわかるでしょう。

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かつては、賽銭箱にお金を入れると、狸がその人の運勢を占ってくれるアナウンスが流れ、人びとを楽しませてくれましたが、残念ながらここ数年はずっと「故障中」のまま。

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