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熊野神社

2012年02月03日 00:18

熊野神社

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縁結び、安産、健康長寿のご利益があります。
縁結びは、祭神が本邦最初の夫婦神でもある伊弉諾尊(イザナギノミコト)・伊弉冉尊(イザナミノミコト)ということから。

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弘仁2(811)年に修験道の日圓上人が国家安泰のため、紀州熊野大神を勧請したのがはじまりとされ、寛治4(1090)年に創建されたすぐ近くの聖護院は、この熊野神社を守護神として別当職をおいていたという深い関係。聖護院は熊野三山の別当職でもありました。

熊野信仰が盛んだった平安末期には後白河法皇が、たびたび熊野御幸(熊野詣)を行い、この熊野神社も厚い庇護を受けます。
室町時代になっても、足利義満から広大な社域を寄進され、その広さは鴨川にまで及んだのだとか。

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その後も天皇をはじめ貴族から、庶民にいたるまで信仰を集めるものの、都を焼き尽くした応仁の乱で荒廃。

聖護院門跡であった道法親王によって社が再興されたのが、寛文6(1666)年。天保6(1835)年には大改修が行われ、現在の本殿はその際に、下鴨神社の旧本殿を移築したものです。
大正元(1912)年に市電丸太町線が開通し、昭和元(1926)年に東大路通の拡幅によって、再び社域は狭められ、現在の大きさとなりました。

熊野権現社 - コピー
〔聖護院杜にあり。鳥居の額、日本第一大霊験所熊野権現〕当宮は後白河上皇の勅願にして、熊野新宮を勧請し給ふ。初めは封境広くして、宮殿には金沙を鏤め、楼門廻廊祓舎経堂巍々たり。〔最初建立の時は、熊野より土砂を運ばしめて宮殿の地を築き、樹木花草に至るまで熊野よりこゝにうつし植給ふなり。故に新熊野新宮と称す。共に応仁の兵火に焦土となりぬ。今ある所は本社、富士浅間社、稲荷社、役行者堂あり〕
惣じて此杜は方境広からずといへども、老樹森々として木陰蓊欝とし、炎暑の時納涼の地なり。
〈安永9(1780)年刊行の『都名所図会』より 熊野権現社〉


神紋はもちろん「八咫烏」。熊野の神々の使いで、神武天皇が東征の際には熊野から大和への道案内をしたという三本足の烏。

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本殿の阿吽の獅子鼻(獅子の頭部の彫刻を施した木鼻)も愛嬌満点。

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〈木鼻とは頭貫などの横木が突き出した部分に施された彫刻〉

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〈界隈には聖護院ゆかりの京都銘菓「八つ橋」のお店がいたるところにあります〉


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