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京都会館 その1

2011年10月20日 22:55

京都会館

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なんだか突如、降って沸いたような、「京都会館」の改修問題。

改修とはいえ、どうやら行政は「世界レベルのオペラが上演できるホール」の建設を目指し、岡崎公園周辺の高さ制限緩和を打ち出してまで全面的な建て替えを目論み、総事業費は90億とも100億円ともいわれています。さらには地元半導体メーカーに約50億円(50年間)でネーミングライツを売却することによって、その事業費の財源に充てようともしているのだとか。お役所仕事のわりには段取りが早い(苦笑)。

ブラックボックスと化した“行政”の事業策定に対して、当然のことながらアノ政党が後押しする“市民派”を中心とした人々は過敏に反応し、白紙撤回を要望。巷は大騒ぎのようです。

手順が見えない行政手続への不信感が反対意見の大部分を占める一方で、改修反対派の中には現在の京都会館をして「戦後モダニズム建築のなかでも屈指の名建築だから」との理由を挙げる声もあるようですが・・・、

正直、今まで、京都会館の建物を名建築だと考えたこともありませんでした。
むしろ没個性的で、目立たなく、面白みもなく地味な建物・・・との印象だったのです。
ということで、改修の是非はともかく、無くなるかもしれない「京都会館」を改めて眺めてみました。

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〈疏水から見た京都会館〉


京都会館は1960(昭和35)年に、平安神宮に代表される岡崎と呼ばれる地域に建設された“文化複合施設”です。周辺には京都会館の他にも、京都市美術館、京都国立近代美術館、京都市勧業館(みやこめっせ)、京都府立図書館、京都市動物園など、文化・産業施設が集まっています。

会館の内部には、2000席の「第一ホール」、900席あまりの「第二ホール」、その他「会議場」や大小の「会議室」。
京都における著名人のコンサートでは、ほとんどがこの「京都会館第一ホール」が使われ、京都人にとっては最も馴染みの深いコンサートホールでもあるのです。ただし、50年前の建物ということもあって、音響の悪さは否めません。

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この京都会館を設計したのは前川國男(1905年―1986年)。

内務省の土木技師の子として生まれ、東京帝国大学工学部建築学科で学んでいます。当時の建築学科では伊東忠太も教鞭を執っていて、和洋折衷様式の個性的なデザインがもてはやされた時代でもありました。
ところが、建築学科の助教授であった岸田日出刀がヨーロッパの視察旅行から持ち帰ったル・コルビュジエ(1887年―1965年、フランスの建築家)の『今日の装飾芸術』をはじめとする著作に触発された前川は、大学卒業とともにパリに旅立ちます。
パリのル・コルビュジエのアトリエで2年間学んだ彼は、鉄筋コンクリート構造の建築方法を修得。

ル・コルビュジエが提唱した「モダニズム建築」の特徴は、床・柱・階段を建築の主要要素とした“ドミノシステム”と呼ばれるもので、“装飾を削ぎ落とした平滑な壁面”と“合理性を追求した”建築方法。
柱だけで支えらることのできる建築は、小さな住宅から大建築まで応用でき、窓の大きさや、内部の間仕切りも自由に設定できるという融通さも兼ね備えていました(そもそもこの工法は、第一次世界大戦での住宅難に対する要請から考案されたそうです)。

ドミノシステム
〈ル・コルビュジエが生み出した“ドミノシステム”〉



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京都会館 その2

2011年10月20日 22:55

1930年にパリから帰国した前川國男は、もう一人の重要な人物と出会います。それが帰国して5年間在籍した設計事務所の主宰者であるアントニン・レーモンド(1888年―1976年、チェコの建築家)でした。

レーモンドは1919(大正8)年に帝国ホテルの建設助手として来日。その後も長く日本に留まり、日本家屋や神社建築から近代建築の要素を掬い取り、独自のモダニズム建築を築き上げた人物です。

前川は、ル・コルビュジエの“ドミノシステム”に代表される建築手法と、レーモンドが日本の伝統建築の中から近代建築の原則を見いだそうとする姿勢を得て、“耐震性や、梅雨のある気象条件”をも考慮した前川独自のモダニズム建築の理念を確立しました。

とはいえ、日本の中にモダニズムの建築手法を持ち込もうと主要なコンペに出品しますが、ことごとく落選(1945年までの16年間に19度のコンペに参加するも、実現した建物はなかったそうです)。
しかし、コンペを通じて次第に日本の建築界にもモダニズム建築の提唱者として前川の名が徐々に知られるようになり、戦後、その理念が開花するのです。


西洋の模倣や、折衷様式が建築思想を覆っていた戦前。そして戦後一変して建築界が日本独自の建築様式を模索していく中で、前川のモダニズム建築の手法が、いち早くその進むべき道筋の先鞭をつけたのです。


前川國男の建築物の主な特徴は・・・、

“大きな庇”
装飾のないモダニズム建築において、建物の顔となる部分。

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〈京都会館の庇は長さ100メートルを超える巨大なもの。建物の象徴としての役割も果たしています〉

“打込みタイル”
前川が編み出した工法で、型枠に先止めした足の長い特注のタイルを、打ち込まれたコンクリートと一体化させることで、陰影に富んだ赴きある壁を形づくり、風化にも強い外壁。

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“ピロティ”
地上一階の柱だけを残して外部空間と一体化させる建築形式で、環境に溶け込んだ広場的な空間を演出。

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そう、前川のモダニズム建築の思想のすべてを見いだせるのが、この「京都会館」でもあるのです。

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中庭を囲むようにL字型(LというよりもJでしょうか)に建物を配置し、二条通に面した正面をピロティにして、建物としての圧迫感を排除。道路から連続した街の広場としてのやわらかい空間を創出。

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隣接する京都市美術館別館(旧・京都市公会堂東館、1930年竣工)や、大文字山を中心とした東山の景観にも配慮した設計。

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二条通の街路樹と同じくらいの高さの、水平な建物。



「京都会館」は単なる没個性な建物ではなく、過分な装飾を排除しながら機能的に設計され、まわりの環境に溶け込ませようとした前川國男のモダニズム建築の思想を大いに盛り込んだ彼の代表作なのです。

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もちろん他の芸術と同じように、建築の世界にもモダニズムを批判する「ポストモダン建築」がこの後台頭し、1980年代を中心に隆盛を極めることとなるのですが、建築史における、ひとつの重要な建物であることには間違いなさそうです。

しかし、万に一つも改修計画が白紙撤回されたとしても、コンクリート建造物の寿命は70年ともいわれ、所詮その命は長くはないのでしょう。
残念ながら、無くなることがわかって初めて“少し”理解できた「京都会館」に込められたモダニズム建築の思想なのでした。

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参考文献『近代日本の作家たち 建築をめぐる空間表現』(編・黒田智子、学芸出版社、2006年)。





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