--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

無常 その1

2011年10月03日 01:27

無常 監督・実相寺昭雄 1970年 ATG


1960年代半ばよりTBS映画部の社員として円谷プロの「ウルトラシリーズ」に携わり、そのエキセントリックな演出手法で一目置かれていた実相寺昭雄。
「ウルトラシリーズ」の後、特撮テレビドラマ『怪奇大作戦』(1968年~1969年、円谷プロ制作)の「呪いの壺」(第23話)や「京都買います」(第25話)などを監督。日本の因習にスポットを当てたり、奇抜なカメラアングルを多用したり、叙情的な登場人物の描写に徹したり・・・と、日曜夜7時というお茶の間のゴールデンタイムに似つかわしくない実験的な演出手法はまたしても健在で、同年、大島渚脚本による中編映画『宵闇せまれば』を自主制作し、映画監督としてデビューします。

そして1970年には、10年ほどつとめたTBSを退社し、映像制作会社「コダイ・グループ」を設立。ATGと提携し、長編映画第一弾となる『無常』を制作したのでした。

WS000103.jpg
〈『無常』で主役・日野正夫を演じたのは、田村亮〉

実相寺監督はその後もATGで立てつづけに、『曼陀羅』(1971年)、『哥(うた)』(1972年)、『あさき夢みし』(1974年)と計4本の映画を撮るのですが、石堂淑朗が脚本を担当した『無常』、『曼陀羅』、『哥』は、実相寺監督のATG三部作と称され、なかでも長編デビューとなった『無常』は、(観念的なテーマやタブーの連続に)作品の好き嫌いは観る人によって大きく別れるところでしょうが・・・日本映画史における最高傑作の一つに数えて、問題ないでしょう(個人的には『曼陀羅』が好きですが)。

WS000232.jpg

ちなみに『無常』は、1970年のロカルノ国際映画祭グランプリを獲得し、1970年度キネマ旬報日本映画ベストテン第4位でした。


内容は、姉と弟の近親相姦、師匠の妻と弟子との交情、義母と息子の痴情・・・と、人間不信に陥るくらいにドロドロです(苦笑)。

WS000124.jpg
〈姉の百合を演じた、司美智子〉

しかし、そのあらすじを納得させるだけの脚本、配役、役者の演技、一コマ一コマを精緻に計算し尽くしたかのようなカメラワーク・・・、何をとっても非の打ち所がありません。
クライマックスとなる、愛欲に溺れる主人公と、その姿が許せない僧侶との「極楽地獄問答」のシーンは観念的すぎるやりとりに、ややもすると観客がついていけず、白々しくなる恐れもあったのでしょうが・・・主人公・日野正夫を演じる田村亮の迫力あるセリフまわしと、やり込められ次第に恐怖に顔が引きつっていく僧侶・荻野(岡村春彦)の表情が、実に圧巻。さらに奇抜なカメラアングルを多用し、観るものを画面に引き込ませる力は“実相寺マジック”以外の何ものでもありません。

WS000530.jpg
〈田村正和の弟としての印象が強い田村亮ですが、実相寺作品では(『哥』における冴えない青年役も含め)素晴らしい存在感です〉

さらに、低予算のATGのこと。恐らく制作費を切り詰めるためのモノクロ撮影だったのでしょうが、これも陰鬱な世界観には見事にあっていました。

WS000115.jpg

上映時間143分という長さもさることながら、一筋縄ではいかない“観念的”で難しい作品ですので、今回も毎度のことながらあらすじを紹介してお茶を濁すことにします(苦笑)。
それにしても、これほどの作品が、今では手頃に見ることができないのは残念ですね・・・。

ちなみに、『無常』での主人公の役名“日野”や、『曼陀羅』に出演している岸田森の役名が“真木”なのは、『怪奇大作戦』(岸田森が演じるのはSRIのメンバー“牧”でしたが)を否が応でも想起させます。
さらに仏像、ユートピアの建設など『怪奇大作戦』で扱ったモチーフから大幅に発展させ、政治、宗教、日本の家制度・・・をテーマにした壮大な意欲作が1970年代初頭に早くもつくられていたことにも驚きです(むしろ、この時代だったからこそ、つくることができたとも言えるのですが)。



スポンサーサイト

無常 その2

2011年10月03日 01:27

WS000092.jpg


白壁の町並みが残る琵琶湖近くの旧家。そこの長男・日野正夫(田村亮)は仏像の魅力に取りつかれ、家の近くの城跡を巡ってはスケッチブック片手に仏像を描いたり、石仏を彫ったりしていた。

父親の亨吉(山村弘三)は大阪で家業「日野商会」を営み、ゆくゆくは正夫に跡を継がせたいと考えているが、21歳になった正夫は大学にも進まず、家業を継ぐ気もなく、家を出たいと考えていた。

WS000126.jpg
〈映画の中では、琵琶湖近くの「クサカベ」という匿名の地名で描かれている正夫の実家がある町ですが、ロケが行われたのは、安土。安土城跡とその城郭内に建てられた見寺(総見寺)が正夫の家のすぐそばの「城跡」として登場します〉

WS000122.jpg

弟想いで25歳の真面目な姉・百合(司美智子)。父親は大阪から帰ってくるたびに百合に見合い話を持ちかけるが、彼女は一向に乗り気ではない。「姉ちゃんが、嫁にいかんと養子でももろてくれたら俺は堂々と家を出て行ける」と城跡の高台で正夫は姉に告げる。

WS000127.jpg
〈正夫が家業に魅力を感じず跡を継ぐ気がないことを父親に告げた。厳格な父親は正夫に手を挙げ、鬱屈した空気が漂う。母親の種を演じるのは、テレビドラマでお馴染みの、河東けい〉


美しい百合には、日野家の書生・岩下(花ノ本寿)や、城跡の寺の副住職・荻野(岡村春彦)が思いを寄せていた。

WS000151.jpg


ある日、知人の結婚式で両親が東京に行き、書生の岩下も骨休めに実家に帰って、二、三日の間、広い屋敷では正夫と百合のふたりきりに。

両親が東京に発った日、正夫は石仏の写真集を買いに京都へ。駅で偶然会ったのは荻野。「おかしなもんやなあ・・・寺に生まれた俺が坊主が嫌で、実業家の家のキミが仏に関心がある」「交代しますか?」「そうもいかんやろ」。

WS000160.jpg
〈この作品には新幹線がたびたび登場しますが、その通るタイミングも計算し尽くされています〉

荻野は京都の仏師に頼んでいた観音像が七分通り完成し、その前金を支払いに京都へ行くという。そして仏像に関心を持つ正夫は荻野について行くことに・・・。

WS000170.jpg


仏師の名は森康高(岡田英次)。森の妻は若い後妻の令子(田中三津子)。お茶を差し出す令子の正夫を見る目が潤む。

WS000195.jpg

正夫は初対面の森に信心を問う。森は正夫の無礼な質問に怒りもせず答える。「いったん私の手を離れてから、何十年、何百年の間、どれだけの人間がどんな願い事を持って拝むかもしれん・・・そう思って彫るだけですわ。しかしそう思うせいか、一つ出来上がるごとに何かこう、命を少しずつ吸い取られてしまうような感じやな。信心のない人間がたとえばご詠歌を歌うとロクでもない死に方しかせんそうやが、私の仕事もそんなもんと違うやろか・・・」と。

WS000210.jpg

森には大学生の一人息子・康弘(佐々木功)がいるが、彼には父親の跡を継ぐ気はなく、森もすでに諦めていた。

WS000258.jpg
〈正夫が仏師の家からの帰り道で女を買い、ひとりホテルを出た時に女の夫であるヤクザ者(寺田農)が言いがかりをつけてきます。が、実相寺作品常連の寺田農は正夫にあっけなく張り倒されるチョイ役だったのでした(苦笑)〉



無常 その3

2011年10月03日 01:28

WS000323.jpg

雨の日、姉弟二人きりの屋敷で、能面を見つけてきた百合。能面をつけた二人は酔狂で戯れたあげく、正夫が百合に襲いかかり、越えてはならない一線を越えてしまう。「怖い、恐ろしいことや・・・」と訴える姉に、「何も恐ろしいことあらへん。自然なんや。二人こうなんのが一番自然なことや」と理由にならない理由で納得させる弟・・・。

WS000361.jpg

母親が東京から帰ってきて、城跡に正夫を呼びに行く百合。そこでまたしても二人は抱擁し、知らないうちにその姿を僧侶の荻野に見られてしまう。

WS000406.jpg

百合に思いを寄せていた荻野は、やるせない想いを寺の観音菩薩を撫でまわすことで慰めた。

WS000428.jpg


百合が正夫の子を宿した。正夫は姉と書生の岩下を一緒にすることで、子を産ませようとする。「あんた、うちがあの人に抱かれてもええのんか?」「姉ちゃん、俺たちの間はそんなもんやない。血で繋がっとるねん。姉ちゃんが岩下に抱かれようが、何されようが、その事実は消えはせん。そやろ?」と。

WS000541.jpg
〈書生・岩下は、実相寺作品の常連である花ノ本寿が演じています。しかし実相寺監督・・・このアングルがホント好きですね(笑)〉

百合と岩下の結婚を画策すると同時に、正夫は荻野に仏師・森への紹介状を書いてもらい、弟子入りすることを決意していた。
正夫の申し出に、荻野は姉弟二人の関係を知っていることを彼に伝え「畜生にも劣るわ」と吐き捨てる。「そやから家を出よういうねん。あなたには関係ないことや。紹介状どないなもんやろ?」「書く。書こう。そやけど、君は二度と家に帰えらんほうがええ」と荻野は忠告した。


正夫の計画通りに、百合と岩下は結婚し、正夫は仏師・森の元に弟子入り。
その10ヶ月後、、実家では百合が男の子を出産し、岩下と仲のよい夫婦を演じていた。

WS000623.jpg

正夫の両親も跡取りとなる男の子の誕生に上機嫌だった。しかし、久しぶりに実家に帰った正夫と百合は城跡でお互いの情愛を確認し、二人を探しに城跡に上ってきた岩下は姉弟の関係と子どもの出生の秘密を知り、ショックのあまり新幹線に飛び込み自殺をしてしまう。

WS000688.jpg
〈真実を知りショックのあまりうなだれる岩下と、城跡で正夫と百合が情交を重ねていることを知りながらも、岩下が上ることを止めようとしなかった僧侶の荻原〉


WS000582.jpg

京都での仏師修業も板についてきた正夫だったが、今度は師匠の後妻・令子(田中三津子)と関係を持つようになっていた。師匠の森は男としての能力をすでに欠いていて、令子は性欲のはけ口を正夫に求め、さらに森は正夫と妻との情事を盗み見ることで、仏像彫刻に打ち込む精気を得ていた。それを知っての正夫の行動でもあり、ついには三人一緒に床を列べて寝る関係に・・・。
「私は先生のお力になりたいのです。私は令子さんを間に先生と交わりたく思います・・・女なんか何でもありません。女は好奇心の動物です。すぐ馴れ、歓び、三人でなければ満足しなくなりましょう。先生の奥さんにふさわしい女やと思います」。

WS000738.jpg
〈正夫の言葉に満足げな表情を浮かべ、仏像彫刻に取りかかる森(岡田英次)〉

しかし、そんな父・義母・正夫との異常な三角関係を知った森の一人息子・康弘(佐々木功)が荻野の元に相談に行き、愛欲に溺れた正夫の正体を知らされる。そして荻原は京都での正夫の振る舞いに憤りを覚えていた。

WS000756.jpg
〈「観音さんもおかしな人間の手で作られてはりますわ・・・薄気味悪い」と康弘は荻原にこぼす〉



無常 その4

2011年10月03日 01:28

荻原は京都で正夫に会う決意をし、京都に向かう。そしてこの映画最大のクライマックス、極楽地獄問答が展開される。

WS000787.jpg
〈荻原と正夫の対決の舞台となったのは、東福寺〉

正夫に会った荻原は、彼に旅に出ることをすすめ「一切不定、あらゆる人間、あらゆる土地、一切の執着と縁を絶て!・・・行く先々で地獄をつくってゆく。キミはそういう人間なんや」と断罪する。

WS000798.jpg

しかし正夫は荻原の言葉を意に介さない。「ある人間が他の人間に関われるのは、所詮その他の人間の中にすでに潜在していたものを引き出すにとまります。それだけですよ。・・・この人たちは私を通して自分の宿命を実現しているんです。それをどうしても地獄と言いたいのなら、それはあなたの勝手ですけどね」と。

WS000803.jpg

荻原「しかし、人間必ずしも宿命を自覚することがそのまま自分の幸せに繋がるわけではない。もし、宿命を見つめることが、その人にとって奈落を意味するなら、その宿命を見つめないよう目の前に大きな手が差し出され、視線を遮る。・・・それが阿弥陀の御手だ。人間誰しも、自分の宿命を見つめる力はない」

WS000813.jpg

正夫「しかし、どうしても見たいいう人がいたら?」

荻原「そのような欲望を鎮めるのが、我々僧侶の勤めや・・・確かに私は非力やけど、私とてそれくらいの心づもりはあって僧職を選んだつもりや」

WS000828.jpg


建前上の一般論でしか言葉を返さない荻原に向かって、正夫が快楽主義に走った理由を語りだす。
それは子供の頃に見た地獄絵図にまで遡る。こんな世界があるのなら、はじめから人間なんて存在しない方がいいのではないかと自問自答した正夫の子どもの日々にまで・・・。

WS000830.jpg

正夫「地獄の絵があるからには極楽の絵もあるに違いない・・・地獄絵が阿鼻地獄、無間地獄と、ありとあらゆる地獄を克明に描き別けてあるのに、極楽の絵は実に単調なのです。阿弥陀と蓮の葉と・・・それだけです。極楽の絵には迫力が全然見られない。どう見ても白々しく嘘っぱちにしか見えないんですわ。・・・そこで私は考えました。そしてハタと思い当たりました。こいつは当たり前のことや。極楽の絵に快楽のあるわけはない。なぜなら快楽というのは、欲を満たしたときに得られるもので、欲を満たすということは、まさに悪に他ならないからです。極楽に快楽のあるわけはない!」

WS000831.jpg

荻原「キミ、絵などは所詮、大衆に仏の道を悟らせるための方便やないか」

WS000837.jpg

正夫「極楽に快楽はあり得ない。それでは他に何があるのか? 荻野さん、極楽にはいったい何がありますのやろ? それは無です、荻野さん。無としての快楽ならある。しかし、無は無で、つまり極楽はない。私はそういう結論に達したんです。仏の教えいうもんは無への招待に他ならない」

荻原「それを涅槃というのだ。無ではなく、時間空間のない永遠の停止。それこそ、快楽以外の何ものでもないやろ?」


WS000841.jpg

正夫「死んでも意識はありますか?! 涅槃の境地に意識はありますか?!! もし意識とは時間と空間に関する意識とすれば、それはない。もちろん快楽の意識もあるわけはない!!」

WS000843.jpg

荻原「日野君、それがキミの行動の原理なのか?」

WS000847.jpg

正夫「そうです。極楽がなければ地獄もない。あるのはこの現実だけだが、そのようにとらえられた私の現実においては、掟の一切は成立しない。なぜなら掟とは罪と罰の中間にあるのに、私の現実には罪も罰もないからです」

WS000850.jpg

荻原「しかし、そんな・・・そんな君の現実とは無秩序以外の何ものでもない。それでどうやって人間は生きていける?」

WS000858.jpg

正夫「別に人間は生きる必要はない。我々は、人類は存続すべきであるという妄念にとらわれすぎている。しかし、そんな妄念のある限り、掟はアメーバのようにしぶとく生きていく。私はそんな掟は認めへん。仏の無に対抗するには、それしかない」

WS000860.jpg

荻原「・・・君は狂っている」



無常 その5

2011年10月03日 01:28

WS000869.jpg

「私が仏像に惹かれるのは、全ての仏像に共通の、あの不思議な笑いのためです。実にあれは無そのものの表情や。見ていてゾクゾクするのは、あの仏の笑いだけや。あれは自分の教えが皆嘘であることを知っている顔です。仏の笑いは実に平衡がとれていて、少し冷とうなっても、笑いが多なってもダメや」

WS000876.jpg

「君はそんな心で、あの観音さんの制作に参加し、それをうちの寺に持ち込もうとしているのか?」

「先生と私の血を吸うて、観音さまはにこにこ笑っていなさる」


WS000895.jpg

ついに観音菩薩が完成した。しかしそれと同時に、正夫は実家に戻る事を決めていた。

正夫が居なくなった森の家では、令子が義理の息子・康弘を誘惑し・・・。そして実家に戻った正夫と百合は元の男女の関係に戻り・・・。

WS000915.jpg

さらに仏師の森は仏像制作に精魂使い果たしてしまったのか、令子との営みの最中に腹上死してしまった。


WS000958.jpg

師匠・森が彫った観音菩薩が荻原の寺に納められる日。「君にはもうこの寺には来てもらいとうない」と荻原から拒絶された正夫だったが、観音菩薩を一目見ることを最後、と城跡に上る。

WS000968.jpg

仏像の付き添いで城跡に来ていた康弘は、父親の死は正夫のせいだと決めつけていた。

WS000971.jpg

そんな彼の感情を逆撫でするように、彼の前に姿を現した正夫が「令子さんはどうしたはりますか? まあ、あんたもしばらくは、あの女を慰めてやることや。それが先生の一番の供養かもしれんな」と、せせら笑った。その姿に康弘は逆上し、寺に奉納しようとしていたノミを握って正夫に襲いかかった・・・が、格闘の末、そのノミ先は康弘の胸に突き刺さる。


WS001021.jpg

ここで場面は一転。
幻想世界の海岸線がつづく世界で亡くなったはずの祖母(菅井きん)とともに、海岸に埋めてあった巨大な鯉を正夫が掘り起こし・・・。
「この鯉は人間をたらふく食って、よう肥えとるのや」そう言って祖母が鍬で鯉の腹を割くと、中からはたくさんの小石が出てきて・・・。

WS001047.jpg


映画の最後は、小さな子どもの手を引いた百合が、山門につづく長い石段を一歩一歩上っていく姿で終わる。

WS001097.jpg



あえて、この作品に不満を見つけるなら、祖母が登場以降の場面と終わり方でしょうか。最後を観る側の想像力に委ねてしまった点が、少し投げやりな感じがしないでもなく・・・。

ただ、この作品が名作たる理由は、“間違った存在”であっても“まわりに地獄をもたらす存在”であろうとも、正夫の行動原理が僧侶・荻野に対して語った通りに一貫していたということ。
そして、その正夫の理屈が、建前でしか物事を語らない仏教者・荻野よりも説得力をもっているように感じさせた石堂淑朗の秀逸な脚本と、監督・実相寺昭雄の演出手腕が凄まじかったということに尽きるのでしょう。





Twitterボタン

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。