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夢の浮橋

2011年09月07日 01:14

夢の浮橋 谷崎潤一郎 1959年

夢の浮橋 IMG


『夢の浮橋』といえば1971年に倉橋由美子が同名の小説を発表していますが、今回取り上げるのは、1959年10月号の『中央公論』に発表された谷崎潤一郎の「夢の浮橋」です。

舞台は京都下鴨にある「五位庵」という邸宅。これは谷崎が1949(昭和24)年4月から1956(昭和31)年の暮れまで下鴨泉川町に住んだ「潺湲亭(せんかんてい)」がモデルとなっています。

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〈右が「糺の森」、左が「潺湲亭(現在の「石村亭」)〉

その邸宅は後に谷崎から日新電機に譲られ同社の迎賓館「石村亭(せきそんてい)」として、今も谷崎が住んでいた当時の赴きそのままに同地に存在します。
(ちなみに余談ですが、「石村亭」のすぐ北にある「下鴨泉川亭」(前の「葵亭」)は、かつて川端康成が『古都』(1961年10月から1962年1月まで『朝日新聞』に連載)執筆のため住んでいた西陣の織物会社「とみや織物」の別荘でした。)

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〈「下鴨泉川亭」(前の「葵亭」)〉


小説中では、この邸宅の庭に五位鷺がよく飛んでくるので、祖父の時代から「五位庵」と呼び習わしているという記述が出てきますが、実際、賀茂川と高野川が交差する一帯は五位鷺、コサギ、アオサギ、鴨の生息地でもあり、谷崎が住んだ「潺湲亭」の庭にもそれらの野鳥が訪れていたのでしょう。
五位庵の場所は、糺の森を西から東へ横切ったところにある。下鴨神社の社殿を左に見て、森の中の小径を少し行くと、小川にかけた幅の狭い石の橋があって、それを渡れば五位庵の門の前に出る。

“かろうじて背徳に陥っていない”近親相姦、母恋い(マザーコンプレックス)を具現化した作品で、そのギリギリの線の狙い所とストーリーの発想は谷崎晩年の名作・・・でしょう。

主人公の名は、その名も「糺」。
糺の森という単なる近くにあった地名を取って安易に付けられた名というよりも、下鴨神社(賀茂御祖神社)の祭神・賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の“人々の訴えをこの森の中で聞き、訴えの裁きをしていたという言い伝えから発祥した「糺の森」という語源”の意味を含ませた主人公の人生を象徴する名前としての意味合いを持たせた・・・、もしくは、主人公「糺」の生き方を読者に問うというような意味を含んでいる・・・と思いたかったのですが・・・。

この主人公「糺」は、生母に「数え年六つの秋」に死別し、「そして二年餘りを過ぎて第二の母を迎え」てから、倒錯の愛情の渦中へと“我知らず”誘われるのです。
全ての元凶は、「糺」の父親にありました。

「糺」の生母は、彼の弟か妹を宿し、23歳で子癇(妊婦特有の脳の循環障害)に罹って亡くなります。
そして父親は、幼い「糺」のことを思ってか、第二の母との結婚に際し、「お前は二度目のお母さんが来たと思たらいかん。お前を生んだお母さんが今も生きてゝ、暫くどこぞへ行てたんが帰って来やはったと思たらえゝ」と念押し、実際、父親は第二の母を「茅渟(ちぬ)」という第一の母と同じ名で呼びつづけるのです(この時点で父親がかなりおかしな人間だとわかるはず(苦笑))。

そしてある晩、「糺」が乳母と一緒に寝ようとすると、継母が入ってきて言うのです。
「糺さん、あんた五つぐらいになるまでお母ちゃんのお乳吸うておいたの覚えといるか」「あんた、今でもお母ちゃんにそないして欲しいと思いやへんか」と。
もはや生母も継母もあやふやになりつつある「糺」にとっては、胸がときめく行為でしかなく、それ以来、十三四歳になり一人で寝るようになっても、母の懐が恋しくなると「お母ちゃん、一緒に寝さして」と継母の出ない乳を吸って子守歌を聴きながら眠りにつくのです。もちろん父親も公認で・・・。

そのような自分の行為を、主人公の「糺」もいけないこととは気づいているものの、しかし、やめることができません。

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継母と父親が結婚して11年目。「糺」が府立一中を出て三高に在学していた20歳の時、継母が身ごもります。
初めての弟・武を持つことが出来て喜ぶ「糺」でしたが、武は生まれてすぐに、しかも「糺」には知らされぬままに、京都の北、静市の百姓家へと貰われていったのです。


この時、父親と継母の「糺」自身への気兼ねから、武を手放したと思っていた「糺」でしたが・・・。

またもや三人だけになった家族に繰り返される、変態的家族関係・・・。
子は手放しましたが乳が張ってくる継母が、搾乳器で乳を搾り出している場に遭遇する「糺」。
乳の溜まっているコップを差し出し、飲んでみろという継母。
さらに「あんた今でも乳吸うたりお出来るやろか、吸えるのやったら吸わしたげるえ」と乳首を「糺」の方に向ける継母・・・(苦笑)。

そして腎臓結核を患う父親の寿命が残り少ないことがわかると、「お母さんを仕合せにするためには、お前が嫁を貰う必要があるが、それはお前のための嫁ではのうて、夫婦でお母さんに仕えるための嫁でないといかん」と、有無をいわさず出入りしている植木屋の娘・澤子が父親によって「糺」の妻に決められてしまうのです。


父親を中心に「五位庵」の中で繰り広げられている倒錯した偏執的な家族愛。しかもそのことに、かすかな違和感を持ちながらもただ流されていくだけの主人公「糺」。

そんな「糺」が父親も亡くなった後、ようやく最後に疑問に思うのです。
幼い武が、田舎の農家に貰われなければならなかったのは、「人目を盗んで丹波の田舎へ里子に遣られた武と云う子は誰の子なのか、あれは父の子ではなくて倅の子なのではないか」と親戚の人々が噂し、そんな息子のもとへ嫁に来るのは丙午生まれの澤子くらいしかいないことを父親は知っていたからで・・・と。そして植木屋としても、「糺」の家の財産目当ての婚姻でしかないという事実を。

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結局、物語の結末は、継母が不審な死を遂げ、「糺」はその死に妻の澤子が関係していると疑い、妻とは離別。そして「糺」が幼い頃より信頼し、田舎に帰っていた乳母を呼び寄せ、さらに唯一の身寄りである異母弟の武を引き取って「せめて武が一人前になるまでは生きながらえて、この弟にだけはあのような思いをさせたくない」と願う、なんともやるせない小説なのでした。


「糺」の独白で貫かれたこの小説。当初は「糺」という名に“糺の森の語源の由来”を意味づけしたのだろうと感じたのですが、しかし振り返ってみると「糺」は問題提起もせず、訴えもせず、ただ父親のいいなりという作者が意図的につくりだした宿命を生きてきただけのことで、主人公を中心に見れば、何とも不満の残る一作でしかありません。
しかし、近親相姦願望の相手が継母というひと捻りした、“いかにも”谷崎潤一郎的設定と展開(源氏物語に出てくる継母恋より病的です)が、背徳の香り漂う淫靡で陰湿な興味深い小説世界を繰り広げているのも、また事実なのです。



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蘆刈

2011年09月18日 01:12

蘆刈 著者・谷崎潤一郎 1932年

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「蘆刈」の初出は昭和7(1932)年11月・12月号の『改造』。

その頃、神戸の岡本に住んでいた谷崎潤一郎を思わせる主人公が、ふと月見に行くことを思い立ち、京都と大阪の境・大山崎の“水無瀬の宮”を訪れます。阪急から新京阪(現在の阪急京都本線)に乗り換え山崎で降りた主人公は、「草ぶかい在所のおもむき」残る街道を歩き、水無瀬の宮の境内へと辿り着くのです。

ここから南の方にあたって恐らくこの神社のうしろ数丁ぐらいのところには淀川が流れているはずではないか。そのながれはいま見えないけれどもむこうぎしの男山八幡のこんもりした峰があいだに大河をさしはさんでいるようでもなくつい眉の上へ落ちかかるように迫っている。わたしは眼をあげてその石清水の山かげを仰ぎ、それとさしむかいに神社の北の方にそびえている天王山のいただきをのぞんだ。

主人公は境内でひととき、『増鏡』に描かれている後鳥羽上皇も目にした風景を想い、そして街道へと引き返します。

時は、九月。月が出る間に夕餉を終えてしまおうと、うどん屋に入った主人公。
うどん屋の店主に、月を見るために舟を出したいというと、向こう岸の橋本へわたる渡船があるとのこと。

渡船とは申しましても川幅が広うござりましてまん中に大きな洲がござりますので、こちらの岸から先ずその洲へわたし、そこからまた別の船に乗り移って向う岸へおわたりになるのですからそのあいだに川のけしきを御覧になってはとそうおしえてくれたのである。橋本には遊郭がござりまして渡し船はちょうどその遊郭のある岸辺に着きますので、夜おそく十時十一時頃までも往来しておりますからお気に召したらいくたびでも行きかよいなされてゆっくりお眺めになることも出来ますとなおもいいそえてくれた親切を時に取ってうれしくおもいながらわたしはみちみちひいやりした夜風にほろよいの頬を吹かせつつあるいた。


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〈京阪橋本駅前には「橋本渡船場三丁」と書かれた石碑が建っています〉

この渡しがある中洲とは、まさに桂川が淀川の本流と合流している地点でした。

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〈google earth より 江戸時代以前には行基が架けたという山崎橋がありましたが、その後は昭和37(1962)年に廃止となるまで“山崎の渡し”として船が行き交っていました〉


うどん屋の勧め通り、主人公はこの中洲でとどまり、この沿岸が描かれている大江匡房の『遊女記』を回想していると、葦生い茂る中に、自分と同じように佇む一人の男がいて、その男から不思議な身の上話を聞く・・・という中編小説です。


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〈淀川を挟んで、橋本側から見た大山崎〉


その中洲に佇む“男”が語るのは、自らの父親の話。

“男”は幼少の頃、父親の「慎之助」にたびたび巨椋池へと月見に連れてこられました。そして決まって父親は、ある邸宅の生け垣をのぞき込むのです。その中で行われていたのは三味線や胡弓が演奏される、なんとも風流な月見の宴。
邸宅は、“男”の伯母、つまり亡くなった母親の姉「お遊さん」の家だったのです。

かつて独身だった「慎之助」は芝居小屋で「お遊さん」をみかけ心惹かれるも、相手は未亡人ながら一人の子を持っていて、もはや叶わぬ恋。
結局、「お遊さん」の妹「おしず」を「慎之助」は嫁にもらい、「お遊さん」の近くにいられることで満足をしていました。
しかし、夫の「慎之助」が「お遊さん」を慕っていることを知った「おしず」は両人に義理立てして、結婚しても夫婦の契りを結ばず、いつも三人で兄妹のように三、四年の年月を遊んで暮らしていたのです。

ところが「お遊さん」の一人息子が病死し、さらに三人の関係を訝しむ声も出てきてしまって、慎之助夫婦と「お遊さん」は疎遠に・・・。
その後ほどなく、「お遊さん」は裕福な伏見の造り酒屋へと嫁ぎ、その別荘こそが、月見の時にたびたび“男”が「慎之助」に連れてこられた邸宅でした。

“男”が生まれた頃には父の「慎之助」も没落してしまって長屋住まいという生活。さらに「おしず」に先立たれた慎之助は、仕方なく幼い“男”を連れて、身分違いの「お遊さん」を遠くから眺めて満足していた・・・という様子が語られます。
そして「お遊さん」を諦めた父と「おしず」との間に生まれた“男”は、今夜もその巨椋池へと月見に行くところだと告白するのです。

物語の最後は・・・、
わたしはおかしなことをいうとおもってでももうお遊さんは八十ちかいとしよりではないでしょうかとたずねたのであるがただそよそよと風が草の葉を渡るばかりで汀にいちめんに生えていたあしも見えずそのおとこの影もいつのまにか月のひかりに溶け入るようにきえてしまった。


この作品でたびたび指摘されるのは、能の「蘆刈」や『大和物語』の184段から影響を受けて創作された“夢幻能”の世界観が色濃く反映されているということ。

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〈淀川沿いの堤防から見た、かつての橋本遊郭への入り口〉

「橋本遊郭」につながる“山崎の渡し”の葦が生える中洲で、名も知らぬ男が語る谷崎潤一郎お得意の倒錯した男女の物語。そして話し終わった男が“ふっ”と消えてしまうという安易ながらも妖しいオチの付け方。
幽玄の世界へと誘う場面設定として、えもいわれぬ雰囲気を持った“山崎の渡し”も、残念ながら今では面影のカケラもありません。





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