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八月の犬は二度吠える その1

2011年08月22日 23:51

八月の犬は二度吠える 著者・鴻上尚史 2011年

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前回は「大文字 五山送り火」のイタズラについて、“悪ふざけをおもしろがるのも、ほどほどに・・・”などと、エラそうな言葉で締めくくってしまいましたが、まさにこの大文字の「大」を「犬」に変えようとした人たちを描いたのが、鴻上尚史の『八月の犬は二度吠える』(2011年、講談社刊)。

近年まれに見る、傑作です。


鴻上尚史といえば、一般的には劇作家、演出家、コラムニスト、テレビの司会者、コメンテーターと多彩な肩書きで現在も活躍していますが、テレビ画面での毒にも薬にもならない彼の存在しか知らない人にとっては、この作品は、あまりおもしろくはないかも知れません。
しかし、1980年代の小劇場ブームを牽引した「第三舞台」の主宰・演出家として、また深夜ラジオ「オールナイトニッポン」のディスクジョッキーとして数々のヒット企画を打ち立ててきた鴻上尚史を知っている人なら、この小説、必ずハマるはずです。


今回は珍しくネタバレなしの方向で、あらすじを・・・。

物語は、二十四年ぶりに音信不通だった友人・長崎から、東京で編集者をしている山室のもとに届いた手紙から始まります。
久しく会っていなかった長崎はガンを患っていて余命半年。
そして入院している京都の病室で、東京からやってきた山室に頼むのです。「もう一度、『八月の犬』をやりたいんだ」と・・・。

二十四年ぶりの病室での再会から、彼らが初めて出会った1978年の予備校時代に遡り、さらに現在の彼らの境遇を描きながら、思わぬ出来事で頓挫し、やり残した青春時代の悪ふざけを四十代も終わりにさしかかろうとしている中年男たちが真剣にやり遂げようとする物語です。


鴻上尚史は主人公・山室と同じく、早稲田大学に入学する前は、京都で一年間の浪人生活を送っていました。
正式名称、西賀茂至誠寮。賀茂川を北に上り、上賀茂神社の反対側、西賀茂の住宅街の中に寮はあった。
今はなくなってしまった西賀茂至誠寮が実名で登場し、予備校名は明言されていないものの、当時、百万遍近くにあった駿台予備学校が彼らの通っていた予備校でもあったのです。
毎朝、八時過ぎに上賀茂神社から少し離れた御薗橋の近くのバス停に立つ。賀茂川を左手に見ながら、二十分ほど揺られて、出町柳のバス停で降りる。そして、三分ほど歩いて、百万遍にある予備校にたどり着く。

叡電出町柳DSC04486_R 〈出町柳〉

一年間の浪人生活での登場人物は、主人公で愛媛出身の山室、そして長崎、吉村さん、関口の四人。
両親の不和に悩みながらも社交的な長崎は岡山出身。親の後を継ぐために医学部に入らなければならない真面目な吉村さんは愛媛出身の三浪生。母子家庭で経済的に苦しく何事にも現実的な関口は滋賀出身。出身地はそれぞれ違う四人でしたが、なぜか気が合い、何となく寮の中でもつるむようになるのです。

浪人生活とはいえ、山室の一年間は充実した毎日でした。
寮が西賀茂という京都の北の端にあったのも大きいのだろう。時間は、京都の中心部、河原町から離れるほど遅くなっているように感じられた。西賀茂のすぐそばに見える山と賀茂川の水草が、急ごうとする時間を押しとどめているのだろうか。
浪人生活の居心地のよさと、京都の居心地のよさが二重に山室を包み込んだ。快適すぎて、怖いとも山室は感じた。
男ばかりの寮の中ではエロ本が第二の通貨として行き交い、
畑を挟んだ向こうのビルに女性の下着姿が見えるからと、寮の屋上では二十人を超す寮生たちが双眼鏡片手に狙撃兵よろしく列んだり、
長崎がプロレス同好会を結成し、吉村さんがパイルドライバーをかけられ病院送りになり、「……部屋のエロ本、隠して下さい」の言葉を残して集中治療室に運ばれていったり・・・。

そして楽しかった一年は過ぎ、山室は早稲田大学に合格し京都を離れ、関口は大阪大学へ進学。しかし、長崎は京大に落ち二浪することを決め、吉村さんも京都府立医科大学に落ちて四浪することとなります。


そう、「大」の文字を「犬」にかえるという壮大なイタズラは、まだまだ先の話。
山室や関口の浪人生活も終わり、離ればなれになるかと思われた四人でしたが、彼らの本当の深い関係はこれから始まるのです。


大学生になった山室が夏休み、故郷・愛媛に帰る途中で西賀茂寮に立ち寄ると、二浪目の長崎は寮生の“いい兄貴分”として振る舞っていて、大阪に進学した関口も合流。四人揃った居酒屋での会話は、「ビニール一枚向こうの安全地帯にいて、本当のことじゃないことばかりを話しているような」大学のサークルでは味わえない、山室にとってはなんとも言えない充実した時間でした。

次の日、後に「八月の犬」作戦に加わることとなる、二名の後輩寮生が長崎によって紹介されます。それがプロレス研究会副会長の伊賀と、山室が三月までいた部屋に住む久保田でした。

さらに次の年、長崎は三度目の京大受験に失敗し、滑り止めの立命館に入学。吉村さんは愛媛大医学部を受けて落ち、五浪目に突入・・・。伊賀は大阪大学を失敗し、二浪目を決意。久保田は京都大学に無事、合格。
そして立命館に入学した長崎は、その陽気さと面倒見のよさを見込まれ、大学に通いながら西賀茂寮の寮監として、そのまま寮に残るのです。



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八月の犬は二度吠える その2

2011年08月22日 23:52

その頃、文芸サークルからミニコミ誌の編集へとサークルを移っていた山室でしたが、相変わらず、浪人時代のような胸ときめく生活はえられません。
もちろん大学二年目の夏も、西賀茂寮へと向かいます。
新幹線が京都駅のホームに滑り込み、速度を落としていくだけで、山室は失くした何かを取り戻しにきたような気持ちになった。
バスに揺られ、御薗橋で降り、西賀茂寮の玄関に立てば、何かになろうとしていた自分が、「やあ」と声を上げて迎えてくれるような気がした。

一年ぶりに長崎と近況を話し合い、大学生活に落ち込んでいた山室を慰める意味からも、長崎が近くの上賀茂寮の寮生たちと合同の“花火大会”を提案します。
しかし、そこはお祭り好きの長崎や、鬱屈している寮生たち。ただの花火大会では終わりません。
山室ら大学生になった元寮生からカンパを出させ、集まった五万円すべてでロケット花火二万本を購入。段ボール四箱分のロケット花火が御薗橋から歩いて五分ほど上流の賀茂川の土手に持ち込まれ、左右に西賀茂寮生、上賀茂寮生がそれぞれ陣取り、いつしかロケット花火大会は両岸からの撃ち合いに。
長崎も山室も、笑いが止まらなかった。長崎は笑いすぎて、ヨダレが出ていた。山室は興奮してうまく火をつけられなかった。たしか、こんなことをしたいと子供の頃に思ったはずだ。ロケット花火で対決する。わいわいがやがやと興奮しながら、ロケット花火を撃ち続ける。それが、今、実現しているんだ。

賀茂川の両岸を何十本と交差する光の矢。音を聞きつけた大学生や子供たち、近所の見物人が集まって壮大な盛り上がりを見せますが、山室が望んでいた「ロケット花火が作り上げた、幻の解放区」は、そう長くはつづきません。

ロケット花火は、一本また一本と近くの民家まで届き、それに激怒した住民の通報で駆けつけた消防隊員がやってきて、長崎の「逃げろー!!」のひと声で、四十名近くいた若者たちは一斉に逃げ出します。
犯罪スレスレ、捕まるかもしれないというスリルに興奮する山室たち。この興奮は彼らにとって忘れられない快感となり、後の「八月の犬」作戦へと繋がるのです。

上賀茂橋DSC04642_R 〈御薗橋から北に行った辺り〉


1981年の夏、大学三年になっていた山室はまたしても京都を訪ね、そこで長崎、吉村さん、関口、伊賀、久保田の六人で富山までキャンプに行きました。
その静かな星の多いキャンプ場でもロケット花火を楽しみますが、もちろん去年のおもしろさとは比較になりません。そして賀茂川の土手での興奮が忘れられない六人が、あの時の様子を“大文字焼き”での人出の多さと比較していた時、山室がふと口にするのです。
「来年て、戌年だよな」
「そうだけど?」長崎が、それがどうしたという声を出した。
「大文字焼き、戌年の来年だけ、犬文字焼きになったら面白くないか?」
(中略)
山室は、このメンバーなら、来年、本当に犬文字にできるかもしれないと思った。そして、大文字が犬文字になって燃えている風景を想像した途端、心臓が痛いほど鳴り始めた。

彼らの計画は緻密で、かつ、ある程度の節操を保っていました。
送り火の前日に大文字山に登って二十四時間のタイマーで点灯できる装置を考えるのです。色彩の統一感にもこだわり、さらに遠くからでもよく見えるようにと京大工学部に通う久保田が“フォグランプ”を提案し、長崎は点灯してから五分後に消えるタイマーも必要だと言います。
「大文字焼きは、公式には三十分。でも、実際は、十五分ぐらいしかなかったじゃないか。その間、一杯、写真を撮って、次の年のポスターとかカレンダーにするんだよ。でもさ、その時ずっと『犬』だったら、いくら温厚な京都の人でも、さすがに怒るんじゃないか思うんよ。迷惑かけっぱなしはいかんじゃろ。だから、『犬文字焼き』にするのは、正味五分。あっと言う間に現れて、あっと言う間に消える。幻だと思う人もおるだろう。けれど、それは存在する。実在にして幻。それが『犬文字焼き』じゃ」
この壮大なイタズラにして、京都人をもおもんぱかる彼らの奥ゆかしさ(笑)。

そして一年間の試行錯誤の末に、木枠で田の形を作った中に四つのフォグランプをはめ込み、照明用の炎色のカラーシートを貼り、さらにもう一枚、ライトの前に風で揺れるようにカラーシートを吊るすという、なんともホンモノの炎に見まがう凝りに凝った「、」を生み出します。

百万遍DSC04489_R 〈百万遍〉

しかし、実行が迫った戌年の七月の終わり、山室は暗鬱な思いでこの計画に望んでいました。その複雑な思いの中心には、ちょうど一年前に紹介された長崎の恋人・麻木有希子の存在があったのです。
人に真剣に恋をしたこともなかった山室は、いつしか長崎の恋人に好意を抱いてしまっていて、東京が実家だった有希子と東京の街なかで偶然遭遇し、それからは寝ても醒めても思うのは彼女のことばかり。夏休み期間中に東京に戻って喫茶店でアルバイトをしている有希子のもとを訪れ、成り行きから二人で入った映画館で、思わず彼女にキスをしてしまいます。

それ以来、彼女に会うのが気まずくなり、実際、計画の実験のため冬休みに京都へ赴いた際にも、長崎の恋人だった彼女が七人目の計画の同志として参加しながらも、山室に目も合わせてくれない態度に、反省と自責の念ばかりが募るようになって・・・。

そして、もう計画には参加しないでおこうと決めていた山室のもとに、計画実行三日前にかかってきた有希子からの電話。
さらに、計画の前日に西賀茂寮に着いた山室たちを待っていた、計画を中止にせざるをえなかった絶望的な現実・・・。

その一連の出来事は、「八月の犬」計画を頓挫させただけではなく、山室を仲間のもとから引き離すには十分すぎる事件でした。



八月の犬は二度吠える その3

2011年08月22日 23:52

最初は単なる賀茂川の土手で騒いだロケット花火大会のおもしろさが忘れられないため、その大がかりな余興程度に思いついた「“犬”文字焼き」の計画。

DSC02286_R.jpg

ところが、「八月の犬」作戦を直前にして起こった重大事件は、二十四年もの間、六人それぞれの中で大きな重荷や複雑な感情となってわだかまり、山室をして毎回あれほど懐かしがっていた京都の地からも遠ざけることとなります。もちろんその原因は全て山室の浅はかな行為から始まっていたのですが・・・。

そんな山室に対して一番複雑な感情を持っているはずの長崎が、二十四年もの空白をおしてでも山室を呼び出し、人生の最期に「もう一度、『八月の犬』をやりたいんだ」と懇願するのには、もはやこの行為がイタズラの領域を超えてしまっていることは推して知るべしです。

ただ、二十四年の時は、六人それぞれの人生をも大きく別の地点へと追いやっていました。
公務員や銀行員として堅実に働いている者。
描いた人生通りに歩めず、今をただ余生と思って無為に過ごしている者。
人生をドロップアウトし、精神を病んでしまった者・・・。
学生時代にはみんなから慕われ、余命少ない長崎たっての強い希望であっても、自分の今の生活を考えれば、そう易々と犯罪である「八月の犬」作戦を実行に移すわけにもいかないのです。

しかし、二十四年前の贖罪から「八月の犬」をなんとしてでもやり遂げようとする山室や、長崎の看病をする現在の恋人・青山七海が“犬”の文字に彼の病気の回復を託す強い思いが交差し・・・、果たしてかつての仲間は集まってくるのか・・・、そして24年ぶりの「八月の犬」作戦は成功するのか・・・。

たんなる学生時代のイタズラから始まった彼らの「八月の犬」作戦は、二十四年前の“鎮魂”と、長崎の奇跡の回復を願う“祈り”という、大きな意味をはらんで、2006年戌年の8月16日を迎えるのです。


DSC02490.jpg

人々が「大文字」を見て亡き人を思って祈るように、物語の最後には、この小説の登場人物たちにとって「“犬”文字」はそれに匹敵するだけの思いと祈りを含んだ一大行事へと昇華していました。

盛大な祭りの後には、必ずそれに見合う哀愁がつきもので・・・この小説にも、描かれた学生時代の乱痴気極まるバカ騒ぎの分だけ、大きな哀愁が読後感として残るのです。


この物語は、大半がフィクションのようですけれど、実際、「大文字」を「犬文字」に変えるイタズラは予備校時代に著者のまわりの学生が計画していたものらしく、それをアイデアとして描いたのだとか。
実際、予備校の寮から女性の部屋が見えたというエピソードはたびたび著者がラジオなどでも語っていたことから、学生時代のエピソードの多くはまんざら虚構でもなさそうです。

まあ、悪ふざけであっても、大文字を“犬”文字にするんだったら、これくらいの動機がなきゃ・・・ですね。

深夜ラジオで楽しませてくれた鴻上尚史が、まだ創作者としても終わっていないどころか、当時のパワーそのままに小説に仕立てたこの作品・・・いや、間違いなく名作でしょう。
しかし、これほどの小説が直木賞の候補にも挙がっていない日本の文学界って、大丈夫なの?





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