祇園の姉妹 その1

2011年02月21日 00:50

祇園の姉妹 監督・野村浩将 1956年 大映


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「祇園の姉妹」と書いて「ぎおんのきょうだい」です。

本作品は、溝口健二監督『祇園の姉妹』(1936年)のリメイクですね。原作・溝口健二、依田義賢。脚本・依田義賢。



“都をどり”からの帰り客であふれる花見小路を二人の芸妓と一人の舞妓がならんで歩いている。馴染み客の「よう、みつぞろえ!」の声が飛ぶ。三人の名は、美津次(木暮実千代)、美津ひろ(小野道子)、美津丸(中村玉緒)。

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〈左から芸妓の“美津次”“美津ひろ”、そして舞妓の“美津丸”〉

姉妹芸者として名を馳せる彼女たち。三姉妹を自称しているものの、実は舞妓の美津丸は美津次の娘で、美津次と美津ひろの異父姉妹は、二人で一軒の家を持ち、自前芸者として働いていた(「置屋」という名のプロダクションに入らず、フリーで「お茶屋」からの仕事をこなしているのです)。

都をどりの夜、平穏な姉妹の間に波風が立つ。美津次の元の旦那・古沢謙三(田中春男)が北海道での事業に失敗し、美津次の家に転がり込んできたのだ。古沢は美津丸の父親でもあった。父親が10年ぶりに帰ってきて喜ぶ美津丸。仕方なく家に受け入れる人情屋の美津次。しかし、妹の美津ひろは古沢を気に入らない。

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美津ひろは、芸妓を仕事として割り切り、「芸者にお父さんはあらへん。あれは姉ちゃんの旦那はんや。お金でお姉ちゃんを慰みものにしてきたんや。あてらはお客の喜びそうなことを言うてぱりぱりあしろうたらええのや」と、そろばん尽くでしかものを見ない。

美津ひろは、呉服屋の若い番頭・木村保(勝新太郎)が自分に好意を寄せているのをいいことに、只で姉の衣裳を作らせたり、古沢の分家で羽振りのいい岡西喜久一(山茶花究)が姉に気があるのを察して、仲を取りなそうとしたり・・・。ついには邪魔で金にもならない古沢を、美津次や美津丸のいない間に、手切れ金10万円を渡して追い出してしまう。

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〈20代半ばの好青年な勝新太郎。1962年に伴侶となる中村玉緒とは劇中、同シーンでの共演はありません。主演した『悪名』が評判となったのが1961年。この頃は役者としてまだパッとしない時代でした〉

その頃、木村は主人・工藤三五郎(進藤英太郎)に、衣裳を美津ひろに貢いだことが発覚する。怒った工藤は美津ひろの元に衣裳代を請求しに行くが、逆に彼女の色気と甘言に骨抜きになり、自分が旦那になってやると申し出る。

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〈工藤役の進藤英太郎は、1936年の溝口健二監督『祇園の姉妹』にも同じ呉服屋の主人役で出演しています。前作よりも恰幅がよくなって、より主人役らしくなっていますね〉




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祇園の姉妹 その2

2011年02月21日 00:53

ある日、偶然、パチンコ屋に入った美津丸が父・古沢を見かけたことで、古沢が追い出された真相を知る。薄情な美津ひろの振る舞いに、怒った美津次は美津丸を連れ、家を出る。

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〈パチンコと舞妓。斬新な取り合わせです(笑)〉

同じように、美津ひろが主人・工藤を旦那にしたことに怒りを覚える木村は、彼女を誘い京都の郊外・高雄に向かう。
「君は芸者の境遇を脱け出したいのか、脱け出したくないのか。僕を愛してはいないのか?」
木村の問いに黙り込む美津ひろ。「もういい」と突き放す木村に追いすがる美津ひろだったが、木村が体をかわした弾みで彼女は崖から落ちてしまった。

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美津ひろが怪我をしたとの報告を受けた美津次。その頃、彼女の元からは、「東京に職が見つかった」との薄情な一本の電話だけを残して古沢が去っていた。
美津次は怪我をした美津ひろを背負い、久しぶりに家へと帰ってきた。二人の間にはかつての姉妹の情が戻る。
寝込む美津ひろの元へ謝罪に訪れた木村に、美津ひろは結婚することを誓うのであった。

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オリジナルである溝口健二監督の『祇園の姉妹』(1936年)が、あまりに日本映画史での存在感が大きすぎるためでしょうか。リメイクであるこの作品は、そう評価は高くないようです。

人情に厚い姉が、最終的に元旦那の古沢に逃げられ、人の心にドライな妹が、姉の愛情と、自分を慕ってくれる若い男性の好意に救われる・・・。人情だけでもダメで、金勘定が長けているだけでも生きていけない花街の難しさと哀しさ、というところを描きたかったのでしょうが・・・、少し単調な感は否めません(当時としてはこれがリアルだったのでしょうが、現代から見ると・・・)。
役者陣の演技はいいのですが(主演の小野道子が、少し宝塚チックなセリフ回しなのが微笑ましい)、だからといって当時の花街が本当にこんな風だったのかと言えば・・・どうなんでしょう。

オリジナルとの大きな違いは、1936年の溝口健二作品が祇園乙部(現在の祇園東)を舞台としているのに対し、この野村監督のリメイク版は祇園甲部を舞台としていること(1956年の野村作品がわざわざ冒頭に“都をどり”の場面を挿入していることからもわかるように、舞台の違いは花街の質を語る上でも大きいのです)。乙部は当時、娼妓がいる庶民的な町でもあり(有り体に言えば、甲部より格が落ちたわけです)、花街に生きる芸者の厳しい生活の裏側を描くには、甲部より乙部の方が適していたわけです。
そして他には、中村玉緒演じる美津丸の存在(溝口監督作品には出てきません)と、勝新太郎演じる木村が溝口作品の木村に比べ優しいこと(前作の木村は“おもちゃ”(美津ひろの役割)に裏切られ、非道の輩となって“おもちゃ”を傷つけるのです)。

“古い姉”と“新しい妹”という対比では『祇園囃子』(監督・溝口健二、1953年)もそうでしたが、『祇園囃子』の姉と妹の関係では、妹はあまりに幼すぎました。
その点、『祇園の姉妹』の姉と妹は、どちらも自立しているということでは、脚本は意欲的だったのですけれど・・・。



さて、この映画には、あまり京都の名所は出てきません。

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四条通の東にある八坂神社の西門です。市電が走っているのがわかるでしょうか。

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平安神宮の前をタクシーに乗って通る姉・美津次役の木暮実千代と、祇園の女将。女将役といえば・・・浪花千栄子しかいませんよねっ(笑)。



祇園の姉妹 その3

2011年02月21日 00:59

祇園の姉妹 監督・溝口健二 1936年 第一映画社

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こちらがオリジナルの『祇園の姉妹』です。紹介としては前後しましたね。
原作・溝口健二。脚色・依田義賢。

『祇園の姉妹』を制作した第一映画社とは、日活を退社した永田雅一(のちに大映を設立)によって設立された映画会社です。
その活動期間は短かったものの(1934年の設立から2年後に解散)、溝口健二監督の代表作となる『浪花悲歌(なにわエレジー)』『祇園の姉妹』は第一映画社の作品で、この二作品は現在も日本映画の傑作として語り継がれています。


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〈主演の芸妓・おもちゃ役の山田五十鈴。当時19歳ですが、すでに一児(のちに女優となる瑳峨三智子)の母親でした。実生活での母娘は、ほぼ没交渉だったらしいですが・・・。〉


さて、その傑作の所以ですが・・・。

当然のことながら、今でこそリアリズムやドキュメンタリータッチの作品は珍しくもありませんが、1936年当時、実際の花街にカメラを持ち込み、芸者のありのままの生態を事実に即したかたちで撮影したことは、画期的な出来事でした。シナリオも撮影時の読み合わせで不自然な部分を書き直すほどの徹底さだったとか。
もちろん、祇園の生の生活や人間を描いたため、祇園に生きる人びとからはかなりの不評を買ったようです。


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〈八坂神社の境内を歩く姉の梅吉(梅村蓉子)と妹のおもちゃ(山田五十鈴)〉


溝口健二の弟子でもある映画監督・新藤兼人は、従来の日本映画が持っていたメロドラマ性から脱却した、“溝口リアリズム”とも言うべき新たな作品が出現した理由として次のように述べています(要約です)。

それまでの映画は女性の涙を誘うものばかり。それなりに立派な作品もあるが、それらとは根本的に違った、人間の本質に迫る演出が行われた。
第一映画はこの二作(『浪花悲歌』『祇園の姉妹』)をもって潰れるが、潰れる最後の作品として思い切った作り方ができた。依田義賢という新人のシナリオを使えたのもその一つ。
溝口演出の秘密とは、新しい技術やカメラワークではなく、人と人とが向かい合い丁々発止で気持ちをぶつけ合うこと。それが人間描写であり、人間像が浮かび上がってくるというやり方。この二作をつくった自信が溝口健二の基礎をつくった。


WS000119.jpg 〈八坂下〉


この『祇園の姉妹』、封切り時は92分の作品だったものが、現在は69分しか見ることはできません。
そして、本作のオマージュとして1956年に制作された野村浩将監督の『祇園の姉妹』(大映)と、ほぼ同じあらすじですが、
オリジナルでの姉妹は三姉妹ではなく(中村玉緒演じる美津丸はいません)、さらに妹芸者(横溝作品では「おもちゃ」、野村作品では「美津ひろ」)に着物を貢ぐ木村が、溝口作品では裏切られた後、冷徹な悪人となって妹芸者に仕返しをします。



ただ、主人公・おもちゃの言動にはまったく共感出来ないばかりか、不快です・・・。

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〈下着姿の山本五十鈴ですが、この頃からすれば、これも体当たりの演技なのでしょう〉

「あてらみたいに女学校を出て芸妓になったようなもんにはようわかるわ。ここらに遊びに来はる男はんちゅうたら、みんなお金であてらを慰みものにすることだけを目的に来はんにゃないか。そうと違う男はんが一人でもいはるか」
「何で芸妓みたいな商売、この世の中にあんにゃ。なんでなけりゃならんにゃ。こんなもん間違うても・・・こんなもんなかったらええんや」

これらは、おもちゃが姉の梅吉に言うセリフですが、嫌だったら、文句ばっかり言っていないで、芸者なんて辞めちまえ・・・と言ってしまえばそれまででしょうが(笑)。
文句ばかりたらたらと言って、その結果が、男に恨まれて円タク(昔のタクシーの呼び方です)から突き落とされての大怪我。自業自得っ。


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〈呉服屋の番頭・木村保役は深見泰三〉

この『祇園の姉妹』に登場する男や女ばかりだったら、とっくの昔に祇園町なんていうものは潰れてしまっています・・・。


その点、1956年版の野村作品では、最後に“救い”を書き加えました。ラストの違いから、野村作品を駄作と捉える人もいるようですが、1956年版の方が、より“人間”が描けていると思うのです。

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〈呉服屋の主人・工藤三五郎役は進藤英太郎。工藤の妻役は、いわま櫻子。進藤英太郎は1956年の『祇園の姉妹』にも同じ役で出演しています。〉




噂の女

2011年12月26日 21:48

噂の女 監督・溝口健二 1954年 


『噂の女』は京都の遊郭・島原を舞台とした溝口健二作品です。脚本はお馴染み、依田義賢と成澤昌茂。
この作品以前にも、溝口健二による京都の花街・遊郭を題材にとった作品には『祇園の姉妹』(1936年、第一映画社)や『祇園囃子』(1953年、大映)があり、溝口監督最後の作品は奇しくも東京・吉原を舞台にした『赤線地帯』(1956年、大映)でした。

『噂の女』での主演のひとり・田中絹代は1940年の『浪花女』に出演して以来、幾たびも溝口監督とコンビを組んできましたが、そのコンビも結果としてこの作品が最後となります。

同じ島原を舞台とした作品には、『廓育ち』(1964年、東映、監督・佐藤純彌)や『玉割り人ゆき』(1975年、東映、監督・牧口雄二)があり、この両作品が廓に生きる女の悲哀を前面に押し出し、廓の実態を赤裸々に描いた名作となっているのに対し・・・、
『噂の女』は田中絹代演じる母親が、久我美子演じる娘に、若い医師の愛人をとられまいとする嫉妬劇が廓に生きる女の悲哀に割り込んできてしまって、どうも世評の高さほど、いい映画とは言い切れません。

それに、『廓育ち』や『玉割り人ゆき』とは違い、ほとんどがスタジオセットでの撮影だったこともあり、島原そのものの空気感が十分に感じられるかといえば・・・否、なのです。

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あらすじは・・・、

京都島原で置屋を兼ねたお茶屋「井筒屋」を営む女将・馬淵初子(田中絹代)。
彼女には一人娘で、東京の音大に通っていた雪子(久我美子)がいた。
しかし、娘の雪子が失恋から自殺未遂を起こし、初子は「井筒屋」に娘を連れて帰ってくる。
女将・初子には若い医師の愛人がいて、その医師・的場(七代目大谷友右衛門)に雪子の診察を頼んだ。

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最初はふさぎ込んでいた雪子も、親身になって話を聞いてくれる的場には心を許す。
そして的場と初子は、雪子の失恋の原因が家業である廓によるものだったことを知る。

雪子は失恋による失望感から、廓稼業での儲けで大学まで出た自らの境遇を卑下するようになっていた。と同時に、廓で働く太夫たちをも少なからず蔑みの目で見ていた。
ところが間近で太夫たちの生活に触れ、次第に彼女たちの一途でどうにもならない境遇を不憫に思うようになっていく。
また太夫たちも自分たちのことを親身になって思ってくれる雪子に心を開くようになった。

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その頃、女将・初子は、的場を開業医として独立させてやりたいと、京都に手頃な物件を探していた。そして願わくば、年下の的場と結婚をし、世間に後ろ指をさされることのない生活をしたいと思っていた。

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雪子の美貌に惹かれた的場は、初子から娘の雪子へと心変わりをしていて、雪子も親身に相談に乗ってくれる的場に恋心を抱くようになる。
そんな二人の気持ちも知らず、初子は廓組合の原田(進藤英太郎)に病院物件の購入費の借金を依頼する。

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しかし、馴染み客たちと行った能の公演で、雪子と的場が親密な関係になっていることを知った初子は静かに逆上し、嫉妬の炎を燃やす。

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的場は的場で、開業費用を初子に出させることと、雪子を手に入れることを天秤にかけ、打算的な本性をあらわしはじめていた。

ついに、初子は的場に本心を迫る。ところが的場は都合の良いご託を並べ雪子と一緒に東京に行くと言い出す。その会話を聞き、母親の初子と的場との関係を知った雪子は、母親をないがしろにした的場に憤り、別れを決意する。失恋の辛さを知っている雪子だからこその決断だった。

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的場が二人の前から姿を消した時、一連のショックから初子が倒れてしまう。
雪子は倒れた母親の代わりに帳場に座り、お茶屋を切り盛りしていく。

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廓の中では、貧困や病気から若くして亡くなる女郎が多く、この『噂の女』の中でも、薄雲太夫(橘公子)がガンに倒れ、亡くなってしまいます。そして薄雲太夫の亡骸を引き取るため京都に赴いた妹の千代(峰幸子)が病気の父親のことを思い、姉の代わりに太夫になりたいと懇願するのです。一度は雪子の説得で姉の遺骨を抱き郷里に帰りますが・・・、映画の最後、家業の廓を手伝う決意をした雪子のもとに再度、千代が太夫になりたいと訪問してきました。

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その千代の姿に太夫の一人が、「あてらみたいなもん、いつになったら、ないようになんのやろ・・・。後から後から、なんぼでも出来てくんねんなあ・・・」とつぶやき、「井筒屋」から別のお茶屋へと出かけていく場面で映画は終わります。

そう、これは『祇園の姉妹』で、妹のおもちゃが姉の梅吉に言う「何で芸妓みたいな商売、この世の中にあんにゃ。なんでなけりゃならんにゃ。こんなもん間違うても・・・こんなもんなかったらええんや」と同じ意味を持つセリフです。

ただ、花街や遊郭に生きる女性の悲哀を、いかにもなセリフで締めくくるのは、映画としてはすこぶる軽い・・・。このあたりが、リアリズム映画を作り出してきたにもかかわらず、まだ前時代的な色街の物語しか描けない溝口健二と依田義賢の限界だとも感じてしまうのです。


あ、そうそう、お茶屋の番頭格で浪花千栄子さんも出演していますが、まったく千栄子節が披露される場もなかったですね・・・残念。



おもちゃ その1

2012年03月16日 23:44

おもちゃ 監督・深作欣二 1999年

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原作と脚色は新藤兼人。新藤兼人の師でもある溝口健二の作品『祇園の姉妹』のオマージュとして新藤が執筆した小説を、深作欣二が監督として制作しました。


舞台は売春防止法が施行される直前の1958(昭和33)年。京都の花街にある置屋「藤乃家」で仕込みとして働く“時子”。
西陣の貧しい織屋に生まれた彼女が、女将と三人の芸妓に仕えながら、礼儀作法、芸事を習得し、一人前の舞妓“おもちゃ”として水揚げされるまでを描いた物語です。

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そもそも、『祇園の姉妹』(1936年、第一映画社)で山田五十鈴が演じた芸妓の名が“おもちゃ”でした。
膳所裏と呼ばれる庶民的な花街・祇園乙部を舞台に、負けん気の強い芸妓たちの生々しい生態を描いたのが『祇園の姉妹』で、ことさら勝ち気な性格の“おもちゃ”はことあるごとに、同じ芸妓で姉でもある梅吉(梅村蓉子)の生き方に反発します。
情深い姉に対して「男はあてらを慰みものにするために、ここへ遊びに来てはるのやないか」と客との付き合いを単なる商売と割り切り、「なんで芸妓みたいのもんが、この世にあるんや」と自らの生業に疑問を感じながらも、花街の中で生き続けなければならない宿命にある悲しい芸妓の姿が、そこにはありました。


しかし、新藤兼人の原作は『祇園の姉妹』のオマージュとして書かれてはいるものの、山田五十鈴演じる“おもちゃ”と、映画『おもちゃ』で仕込みを演じる“時子(後に舞妓“おもちゃ”に)”との性格は、むしろ対極。

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花街に生きる娼妓や芸妓、舞妓を主役とした作品でありがちなのが、彼女たちを時代や社会から「虐げられた者」「悲しい存在」として一元的に捉える演出方法でした。
しかし、この『おもちゃ』では主演の宮本真希演じる時子が、手際よく淡々と「仕込み」の仕事をこなしていき、劇中のクライマックスである「水揚げ」(舞妓がスポンサーである旦那と初夜を過ごします)の場面に至っても涙一つ見せず、「体は売っても心は売らない」とでもいうように割り切って“堂々と”78歳の旦那に身を任せる場面が、何とも清々しく、その健気さがむしろ哀しくもあるのです。

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五社英雄監督チックな一連のドロドロとした花街が舞台の愛憎劇を予想していただけに、深作欣二が“おとなしく、したたかな女性像”を描いていたことが、いい意味で期待を裏切られ、新鮮なのでした。


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もちろん今の花街では、借金のカタに芸妓や舞妓になる女の子もいないでしょうし・・・、さらに大枚を積んで旦那となる甲斐性のある御大尽もそうはいないはずで・・・、「水揚げ」といっても今は舞妓となる事を指す言葉として残っているだけ。

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舞台は京都の花街といっても漠然と祇園あたり、としているようです。雰囲気的には宮川町でしょうか・・・。宮川町歌舞練場もたびたび登場していて、しかも娼妓と芸妓が入り交じっている雰囲気もあって・・・。





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