薄化粧

2011年04月14日 22:41

薄化粧 監督・五社英雄 1985年

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別子銅山は愛媛県新居浜市にあった銅山で、昭和48(1973)年に閉山となりました。現在はその廃墟跡が“東洋のマチュピチュ”と称され、テーマパークになっているのだとか。

別子銅山の社宅で、昭和24(1949)年、ダイナマイト爆破事件が起こり、犯人の社宅の地下からミイラ化した母子の死体が見つかります。そして犯人は刑務所から脱獄、逃亡・・・。その実際の事件を取り扱った小説が西村望著『薄化粧』(1980年、立風書房刊)で、1985年には映画化もされました。

主演・緒形拳、監督・五社英雄の『薄化粧』です。

といってもこの作品は、京都が舞台ではありません。
しかし、松竹・五社プロ・映像京都の提携作品として制作されたこの作品には、京都の見慣れた風景がそこかしこに映っています。

提携会社のひとつ「映像京都」は、2010年8月31日に解散しました。もともと1971年に大映が倒産し、翌年、旧大映の社員たちが集まって立ち上げた職人集団だったのです。
ちょうど「木枯らし紋次郎」(フジテレビ)が大映京都撮影所により制作されていた最中での倒産で、制作を継続させるため、1972年に市川崑が音頭をとり多くの俳優やスタッフが参加して、発足します。
時代劇のテレビドラマを中心に、『金閣寺』(1976年、高林陽一監督)や『利休』(1989年、勅使河原宏監督)、『かあちゃん』(2001年、市川崑監督)などの映画も制作しました。
代表の西岡善信氏が高齢ということもあり、38年の歴史に幕が下ろされることとなったのです。最後の作品は2010年11月にフジテレビで放送された「2夜連続 松本清張スペシャル 球形の荒野」でした(この作品でも南禅寺が重要なシーンとして登場します)。


まあ「映像京都」が関わっていたことから、京都でのロケが多用されたのでしょうが・・・。


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東本願寺の御影堂でしょうか。境内で佇む脱獄犯の坂根藤吉(緒形拳)。

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この後、門前で妻と子の弔いのために小さな仏壇を買い、それを手に飯場から飯場へと逃げ回るのです。


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坂根が飯場近くの飲み屋で知り合った内藤ちえ(藤真利子)と行った映画館には、千本日活。


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同じく内藤ちえと坂根が坐るのは、鴨川べり。


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懐かしの京都市電。おそらく右はホンモノで、左はN電を真似たハリボテ車輌でしょうか・・・。


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南禅寺の水路閣。坂根を追う刑事の真壁(川谷拓三)が、元上司の松井(大村崑)に相談する場面。松井は警察を定年退職し、電鉄会社で働いている設定です。


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警察の追っ手から逃げる坂根が最後にたどり着いたのは、内藤ちえが親戚の元に身を寄せている信州です。

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しかし撮影は、かの橋本遊郭で行われていました。


映画や原作と京都は一切関係ありません。単なるロケーションとして使われただけでした。


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あえて、映画評はしませんが・・・、この映画での緒形拳の演技を見ると、つくづく“名優と怪優は、紙一重の違い”と、思わされます(もちろん褒め言葉で、緒形拳は名優だと言っているのですよ)。


おまけ・・・、

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落盤事故で社員が死んでも何とも思わず、麻雀にしけ込む“あこぎな”会社の重役には、六代目笑福亭松鶴師匠!! 亡くなる一年前の勇姿です。



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金閣寺

2011年06月12日 01:39

金閣寺 監督・高林陽一 1976年

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三島由紀夫の『金閣寺』を原作とする映画は、今まで二本制作されています。
1958年の『炎上』(監督・市川崑、主演・市川雷蔵)と、この1976年に公開された『金閣寺』(監督・高林陽一、主演・篠田三郎)です。


市川崑監督の前作は脚本を和田夏十が担当し、大映京都の制作により、見事なまでの名作に仕上がっています。
一方、この『金閣寺』は脚本も高林陽一監督が担当し、製作はたかばやしよういちプロ、映像京都、ATG。出来としては・・・良くも悪くも高林陽一テイストの作品です。

両作品に共通するスタッフには、美術担当の西岡善信氏がいます。
美術監督の西岡氏は大映所属当時、市川監督の作品全てで美術監督を務めたほどの人物。しかし、1971年に大映が倒産すると、翌年には残された社員らとともに制作集団「映像京都」を立ち上げ、社長に就任。2010年に会社が解散するまで、多くの作品に携わりました。

『炎上』制作当時は、1950年の金閣寺放火事件から年月が経っていないこともあって、当初の題名『金閣寺』は当の金閣寺からクレームが出され、NG。金閣を驟閣とするなど、原作と名称を変更せざるを得ませんでした。
西岡氏をはじめとする美術スタッフは金閣寺を再現するにあたり、存在しない研究会を騙り、金閣寺に乗り込んで、伽藍や什器の寸法を測ったり、写真を撮ったりして、ようやく大沢池に原寸大の金閣寺を復元したという苦労話もあったようです。

一方、放火事件から25年経って制作された高林監督の『金閣寺』は題名はそのままに、しかし、さすがに金閣寺でのロケは断られたようです(ただし、大谷大学の尋源館(1913年建造)は劇中に出てきます)。
そして、金閣を作る予算もなかったのか、建物を象徴する屋根上の鳳凰のアップで、金閣全容そのものを表現。まあ、張りぼてのショボイ金閣を見せられるより、思い切って省略したこの表現でよかったのですけれど・・・美の象徴といいつつ、金閣を出さない潔さには脱帽です(笑)。

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金閣寺でのロケを断られたにもかかわらず、金閣寺に遠慮してでしょうか・・・、老師が祇園の芸妓にうつつを抜かしたり、金に執着する様は一切出てきません。これを省いては放火という行為の動機に説得力を欠くと思うのですが。
そして、溝口の吃音さえも克明に描かれているわけではなく・・・。むしろ溝口を演じる篠田三郎がほとんど吃り(微妙に差別用語かな)の演技もしていません。


重要な場面は端折る代わりに、溝口と鶴川が南禅寺の山門から観ていることを知らず、

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道を隔てた天授庵の一室で陸軍士官と女が別れの儀式であるかのように、士官の差し出した抹茶茶碗に女が着物の襟元を広げて茶碗に母乳を絞り出し、それを士官が飲み干すシーンは表現していたり、

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寺に来た米兵と娼婦のカップルが喧嘩をし始め、倒れた女の腹を米兵に促され、溝口が踏みながら興奮する場面は描かれていたり、

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・・・この取捨選択の妙が高林陽一テイストの特徴なのです。そして溝口の母親役の市原悦子のお色気シーンが執拗にあったり・・・(苦笑)。


あまりに同じ原作を使った市川作品の『炎上』が名作過ぎて、高林作品はどうも失敗作の印象は拭いきれません。
いや、むしろ失敗作というより、それほど三島由紀夫原作の『金閣寺』を映像化することは、難しいということなのでしょう。
市川崑やその妻で脚本家の和田夏十が映画会社からの企画の依頼に最初は躊躇し断ろうとしていた理由が、高林作品を観ることによって、なんだかわかるような気がしました。


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〈主役・溝口を演じるのは篠田三郎。『ウルトラマンタロウ』は映画『金閣寺』以前の作品だったのですね。それにしても、“篠田三郎”が芸名って〉


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〈内翻足の障害を持つ大学生・柏木には、横光勝彦(現・横光克彦)。一昔前は『特捜最前線』の紅林刑事、今や衆議院議員のセンセイです。自らの障害を逆手に取り、女性の関心を引く女たらしという癖のある柏木をなかなかに上手く演じています。とはいえ、『炎上』で柏木に相当する役(『炎上』では戸苅)を恐ろしいまでに怪演している仲代達矢と比べるのは酷というもの〉


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〈人の好い溝口の徒弟仲間・鶴川を演じるのは、柴俊夫。原作では鶴川は自殺し、しかも自らの悩みを溝口には打ち明けないで、柏木にだけ打ちあけていたということが、溝口に衝撃を与えるのですが、映画では単なる事故死として扱われ、劇中での鶴川の存在意味も半減していました〉


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〈溝口のトラウマ的存在・有為子には、島村佳江。郷里時代、有為子に恋をした溝口は彼女に告白しますが、吃って言葉が出ません。そして彼女に「吃りのくせに」と蔑まれたことが、コンプレックスを決定づける出来事となります。彼女の死を願う溝口の思いが通じてか、劇中では逃走兵となった恋人をかくまいながらも、憲兵の尋問に恋人を裏切り、その裏切った報いとして恋人に射殺されます。しかし溝口の前には死んだ後も幻影となってたびたび現れるという設定。ただし、この有為子の存在も映画の中では中途半端な扱いなのは否めません〉





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