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マルセル盗難事件 その1

2010年12月02日 00:32

京都国立近代美術館で1968年におこった「マルセル」盗難事件をご存じでしょうか。


アンリ・トゥールーズ・ロートレック(1864―1901)。

20101128002933507[1] 〈『ディヴァン ジャポネ』(1892年)〉

現在もパリを代表する観光スポット「ムーラン・ルージュ」。そこのポスターを描き、一躍注目を浴びた画家。そして、世紀末の混沌としたパリの退廃ムードの中から、新しい芸術の風を吹かせた人物。それがロートレックです。

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 〈アンリ・トゥールーズ・ロートレック〉

彼は脚の悪い身障者として育ったこともあってか、娼婦や踊り子のような夜の世界に生きる、か弱い女性たちに親しい感情を抱きます。もちろん題材の多くは、夜の艶やかな女性たちでした。娼婦宿に入りびたり、「ムーラン・ルージュ」の常連になるなど、19世紀末の芸術家の退廃生活を示す逸話を数多く残し、長年の飲酒がもとで体を壊して、36年間の短い生涯を閉じます。
ユニークな生き方と人の本質を見抜く優しい観察眼、そして柔らかくも繊細な筆致は、今もなお多くの人に愛され、フランスを代表する巨匠のひとり、なのです。


そんな、ロートレックの作品231点を一堂に集めた「ロートレック展」が、京都市岡崎にある京都国立近代美術館で華々しく開幕したのが1968年11月9日。ロートレックの作品を系統立てて日本で扱う展覧会としては最初にして最大規模の作品展でした。

彼の代表作でもある「マルセル」は1894年に描かれた油彩画で、1階展示室の中央北、展覧会における特等席に飾られていました。
「マルセル」のモデルは、オペレッタ「シルペリック」の主演女優マルセル・ランデルとも、アンボワーズ街の同名の娼婦ともいわれていて、ふたつの対照的な俗説が当の絵画をいっそう幻惑的に映し出し、人びとはその魅力に釘付けになったのです。

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〈「マルセル」(1894年)大きさは8号(縦46.5センチ、横29.5センチ)。左上に「MARCELLE」と青色鉛筆の署名〉

会場は連日盛況で(入場者総数74,748人)、12月25日までの会期が、2日間延長されました。
しかし・・・、最終日である27日の朝、職員が開館前に異変に気づきます。


「マルセル」が忽然と消えていたのでした・・・。


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〈京都新聞 1968年12月28日付 朝刊〉

当時の価値で3500万円ともいわれる名画の紛失は日本史上最大の美術盗難事件として騒がれました。
しかもロートレックの遺作を数多く所蔵するアルビ美術館が共催し、他のヨーロッパ、アメリカの美術館、さらには個人所蔵の作品をフランス文化庁がまとめて借り受けるというフランス政府の全面協力もあって、ようやく開催することの出来た展覧会での大失態です。
フランスとの関係を憂慮した日本政府は即刻、文化庁長官が談話を発表し、美術館館長が辞任を表明。5万枚の手配書が配られ、発見者に1000万円の懸賞金を出すという異例づくめの体制で、“失踪”した「マルセル」を追ったのでした。


盗難から3日後には、「マルセル」の額縁だけが美術館からほど近い疎水の近くに捨ててあるのが発見され、さらに年が明けた1月4日には事件発覚前夜から当直だった55歳の守衛が自殺するという不幸にも見舞われました。責任を感じての自殺だったようです。

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〈「マルセル」の額縁が発見された岡崎疏水分水。正面に見えるのが京都国立近代美術館〉



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マルセル盗難事件 その2

2010年12月02日 01:02

犯人は、足跡、指紋を事務所の窓ガラス、雨どい、展示場内、便所などに多数残したまま、「マルセル」を取はずして疎水まで走り去り、額縁をその場に捨て、絵だけを持って逃げた。

その事実だけが宙ぶらりんのまま漂い、事件は進展せず、時効である1975年12月27日を迎えます。
もう、「マルセル」は二度と人びとの前に現れることはないと思われました。


ところが時効から一ヶ月後の1976年1月30日、朝日新聞と毎日新聞の朝刊に「マルセル」発見の記事が踊ったのです。

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〈朝日新聞 1976年1月30日付 朝刊〉


朝日新聞の記事を読むと、発見に到る経緯は以下のようです。


大阪に住む会社員の中年夫婦が、発見の二年半前(1973年秋頃)に、知人である28歳の中学教師から紫色の風呂敷包みを預かります。
「おばさん、これをちょっと預かってほしい。ぼくがとりにくるまで、おやじやおふくろらがきても渡さないでほしい」と教師は置いていきます。両者は実家が近所で、教師が子どもの頃から会社員夫婦の家に遊びに来ていたこともあって、たいして不審に思わず、玄関横の客間の押し入れにしまっていたというのです。

その後、1974年7月、会社員の妻が海外旅行に行く直前、偶然近くのバス停で、中学教師に会ったので、「持って帰ってほしい」と言いますが、そのまま預かっていてくれ、ということでした。
このことがあってか、海外旅行に出発する前、妻は夫に「(教師からの)預かりものだ」と風呂敷包みを見せ、その時開けて初めて、預かっていた物が絵画だということがわかったのです。ただし、その場では何の絵かも気に留めず、そのまま押し入れに戻されました。

ところが、発覚の一週間前、夫が仕事の関係で外国の絵画の本を見ていて、預かっている絵のことを思い出します。
24日に風呂敷を開け調べてみたところ、裏にロートレックの名が記されていました。念のため百科事典で調べると、ロートレックの作品とそっくりではありませんか。
「もしや大変なものでは」と、28日に知人に相談し、「マルセル」が盗難にあっていることを知り、朝日新聞社に連絡したというのです。


連絡を受けた朝日新聞社は秘密裏に、京都大学の乾由明教授と、神戸大学の池上忠治助教授に鑑定を依頼。乾教授は事件当時、京都国立近代美術館の事業課長でもありました。
画集とシミの跡を比べ、木枠に張られた三枚のラベルも、かつて展覧会の開かれた美術館のものであり、本物と断定されます。そして幸いなことには、紙の四隅に黄色のシミがある他は、損傷のない状態でありました。

盗難から7年4ヵ月経った2月27日、「マルセル」は展覧会の主催者であった読売新聞社から故郷のアルビ美術館に無事戻ることとなります。

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〈事件の舞台となった京都市左京区岡崎。美術館や図書館、動物園など、京都の文化観光施設が集まっています。平安神宮は平安遷都1100年を記念して1895年に創建されました〉



マルセル盗難事件 その3

2010年12月02日 01:21

さて、捜査の目は・・・もちろん、28歳の中学教師に向けられます。
しかし教師は警察の事情聴取に、中身を知らぬまま知人から預かったとしか答えません。誰から預かったのか、どうして預かったのか、その経緯を頑なに一切口外しませんでした。

発見直後の1月30日午後、この中学教師は、枚方市役所の記者クラブで報道関係者に取材されています。

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〈読売新聞 1976年1月31日付 朝刊〉

読売新聞によると――

1972年秋に“ある人物”から京都で「ちょっと、警察の捜査対象になる物だ」と言われ、中身も確かめずに預かり、そのまま押し入れの天袋に入れておいたといいます。
中身を本当に知らなかったのか、という記者の問いには、「人から預かった物をのぞき見するような汚い根性は持っていない」と言い放ち、「私も政治活動をしていたので、警察が興味を持つもの、たとえばビラか何かを入れた箱だと思っていた。重さからみて爆弾とは思わなかった。もっともこんな変なかたちで“爆発”(社会に知られたこと)してしまったが」と、うそぶきます。

もちろん、預けた人物の名を言わない限り、この教師が第一に疑われるだけなのですが、「私が口を開けば、何人かの人がかかわりあいになるし、政治的信条を傷つけることになる。預けた相手を捜せば突き止めることもできるが、捜す必要もない」というのです。


記者と教師との不毛な一問一答は続きます・・・。

   あのような名画を盗む行為をどう思うか。
「いい事だとは思わない」

   それだったら、やはり真相解明に協力すべきではないか。
「われわれの年代には、警察が追いかけているから悪いヤツだというような、江戸時代的発想はない。連合赤軍のような殺人集団は別だが……。まして道義的責任は残るにしても、法的には時効でケリのついていることではないか」

   教職にある身との矛盾を感じないか。
「民間会社だったら勤めを続けられないだろうが、私の職場環境は非常にいいので、同僚もわかってくれると思う。PTA、生徒には私から説明する」

そして45分に及ぶ会見の最後に教師は「私をつるし上げるつもりでここに呼んだのか。最初の約束と違うではないか。これで終わる。生徒を待たしている」と、きつい口調で言い、席を立ったというのです。


事件の騒ぎで学校を休んでいたこの教師、6日後には教壇に復帰したようですが・・・。はたして授業になったのでしょうか・・・。


結局、捜査も時効の壁にさえぎられ、教師をそれ以上深く追及することも出来ず、今日に至るまで真犯人は藪の中・・・なのです。

ひとりの死者を出したのですから、興味本位で語れる事件ではないのですが、・・・不思議な・・・、もとい、不快な未解決事件ですね。


DSC00487[1] 〈平安神宮の大鳥居〉

あ、そうそう・・・。
ロートレックは浮世絵の収集にも熱心で、浮世絵の影響を受けたことはよく知られています。
彼には、墨で描いたデッサン「広重の手法による隅田川の風景」という作品があり、1972年に開催された「世界の文化と現代芸術展」という展覧会で盗難にあい、その後発見されていないのだとか。

ロートレックの絵には、観る者の理性を失わせる魔力でもあるのでしょうか・・・。


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〈1986年に竣工した新館の京都国立近代美術館〉



失踪 その1

2010年12月06日 01:05

失踪 澤野久雄 1970年

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長編小説『失踪』は、1969(昭和44)年4月から9月まで朝日新聞夕刊に連載され、翌年、単行本として出版されました。
朝日新聞東京本社学芸部に勤務していた澤野久雄が新聞社を退社し、専業作家になって10年経った56歳の時の作品です。


いきなりですが、単行本のあとがきから――。
◇この小説が終って二日後の同じ新聞に、私は作品のあとがき風のものを書いた。その中に、こういう数行がある。
『今日、人間はそれぞれの内部から、人間として大切な何かを失いつつある。その結果、私たちはしばしば、自分自身をさえ裏切ってしまうような危険にさらされている。』
その、何かに失われてゆく状態が、私に「失踪」という題名を選ばせた。小説では、「マルセル」の盗難事件を扱っている。最後には、志摩という女の生命も失われた。しかし私の書きたかったものは、そういう出来事そのものではない。現代人の中から、失われてゆくものと、その失われてゆくことの恐怖。

あとがきにあるように、前年12月に京都国立近代美術館でおこった「マルセル盗難事件」が、この『失踪』というフィクションでは重要なモチーフとなっています。

といっても、連載当初はまだ事件発生から4ヵ月後のこと。捜査の進展もなく、ましてやその7年後にロートレックの名画「マルセル」が発見されるとは、誰も思わなかったことでしょうに(笑)。


さて、この『失踪』。小説としての評価は・・・、難しいですねえ・・・、澤野久雄作品としては凡作の部類でしょうか(失礼)。かといって、駄作だと言い切る自信もないのです。

それまでの京都を舞台にとった短編小説の数々は、職人の生き生きとした“個”の生活が見事に描かれ、感嘆したものです。
そして『失踪』の主人公・古屋志摩も女性ながら上絵師として着物に紋を描く職人の設定なのですが・・・。

新聞の連載小説のもつ難しさでしょうか・・・、“人”が描けているかといえば、短編の作品群に比べ描けてはおらず、物語の推進力をつけるための強引な展開や、登場人物のカマトトぶりが少し目立つのです。

作者の「マルセル盗難事件」に絡めて、『失踪』という題名に懸けた思いは、十分わかるのですがねえ。



失踪 その2

2010年12月06日 01:07

古屋志摩は三十歳の出戻りで、家業である上絵師を継いでいる。若い職人の菊子とふたり、西洞院にある京町家の虫籠窓の奥で日々、着物に紋を書きつけていた。
離婚の原因は夫の浮気。一年半前に飛び出してきた東京の婚家にはひとり息子の幼い亮を残していた。

彼女の仕事場を月に二度ほど訪れる男があった。東京に住む苗場弥五である。志摩より三つ年上で、知人の結婚披露宴で知り合った。
志摩ははじめ、苗場のことを煙たがる。苗場は資産家の息子で、現在は会社勤めをしているらしいが、どんな職種かは志摩も知らない。ただ、月に数度の関西への出張の際には彼女の仕事場に顔を出すのだった。

ある日、志摩は仕事部屋で胸騒ぎを覚える。部屋には由緒ある紋所を描いて納めた額が掛かっているのだが、その文様を染めた古い布地が額の中で傾いていたのだった。
志摩は額の裏紙をはずした。すると、その下から古びた厚紙が現れた。ロートレックの「マルセル」であった。
見覚えのある、女の横顔だった。鋭い鼻梁。しっかりした、顎の線。白と薄い青とが、古いカルトンの上では妙にみずみずしい。(本文より)

果たして、この「マルセル」は、本物なのか贋物なのか・・・。

かつて、苗場との食事で、彼がロートレックについて熱心に喋っていたことを思いだす。そして、以前、志摩の仕事場で、額を嶮しく見つめていた姿もあった。絵を隠したのは苗場に違いなかった。

「マルセル」を通して苗場という存在が、自分の身近に飛び込んできた錯覚に陥り、次第に苗場のことが頭から離れなくなる。
さらに、ふとしたことから、息子が小児喘息にかかっていることを知り、その日から、寝ても醒めても思うのは息子のこと。

眠れぬ夜に、「マルセル」を取り出し、眺めると気も紛れた。むしろ、仕事が遅くなって、「マルセル」に会わずに寝ると、苗場の姿が目に映り、息子の咳き込む声が響くようになる。彼女はその絵にとらわれていた。

結局、「マルセル」は本物で、苗場自身が盗んだものだった。どうして盗んだのかは、苗場自身にすらわからないという。
しかし、志摩もそんな苗場を責めることは出来ない。
自分の部屋にある「マルセル」を、本物ではないかと疑っていた間も警察に届けなかった。苗場の言う通りコピイだと思い込むようになった。同じ部屋で仕事をする菊子にも言わず、額縁の裏に秘めておいていたのは、その絵を本物だと気づいていたからではなかったか、と。

部屋に「マルセル」を置き続けていたことは、彼女の中で人間として、社会人として何かが脱落していた。“失踪”してしまっていた。彼女自身が、襤褸のように穴だらけなのであった。そして、その穴からは、貴重な物がみな、“失踪”してしまっているようだった。

盗んだ朝のことを説明しようとする苗場。しかし、志摩はその言葉を遮る。
おそらく朝の美術館の空気というものが、苗場の中から何かを失わせていたのであろう。苗場がマルセルを盗み出したのは、その、「何かが失われていた」という状態に、彼が陥っていたからにちがいない。その時、彼はあるいは何者かによって、全く別の世界へ拉致されていたのかもしれない。すると、この盗みには動機を求めることは出来ない。(本文より)


   まあ、このあたりが、題名『失踪』に込められた主題なのです。

ただ、最後に、河原町の四つ辻で、歩行者信号を見て青だと思い横の車道を渡ろうとして、車にはねられ死んでしまう主人公の最期はいかがなものでしょう。
もちろん、「マルセル」を持ち続けていたことへの罰の意味ではあったのでしょうが・・・。

物語の安易な終わらせ方に、“夢オチ”と“主人公の死”というものがありますが・・・、なんだか視聴率低迷のメロドラマの打ち切りみたいで、少し残念なような気がしないでもないですね。


20101127150608fc4[1] 〈三条神宮道〉
右手、通りに面した家々の背に、影のような木立が見えて来た。青蓮院の、楠の繁みである。雨のあとだった。湿気が多い。楠の繁みは煙ったように拡がって、まとまりがなかった。曲がりましょうか、と、津川は言った。志摩は青蓮院の道に惹かれていたが、津川は左へ曲がろうというらしい。こちらへゆくと? 神宮通りです。いやあ、と志摩は声をあげた。疎水が目にうかんだ。大鳥居が大きすぎる。そしてその傍らに近代美術館。ロートレックが、盗まれたところだ。犯人は、美術館から疎水を渡り、仁王門通りを横切り、京都日冷の冷蔵倉庫前で、マルセルの額縁をはずして捨てた。すると、そのまま逃げれば、当然、いま志摩たちの立っているところを、走ってすぎているわけだ。

20101127150607881[1] 〈京都会館〉
その日から彼女の中には、京都会館の姿が、時折、影のように、うかび上がるようになった。花どきでもなければ、夜になってその辺りを歩くものは少ないであろう。広い二条通りの、清潔なたたずまい。大きな街路樹はゆったりと静まって、木々の葉は明るい街燈の光の中で、エメラルド色に透いて見えるかもしれない。周囲は、深閑としているだろう。そして会館は、新しいデザインを誇るあらけずりなコンクリートの建物だ。数多い脚柱の間からは、その奥に残されている、古い日本建築に見るような、破風のそった瓦の屋根が見えることだろう。その背は、平安神宮の森だ。






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