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ナマの京都 その1

2010年09月19日 23:18

ナマの京都 著者・グレゴリ青山 2004年

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さてっ! 今回は、素(す)の京都を語らせれば右に出る者はいない、グレゴリ青山さんの『ナマの京都』(メディアファクトリー)です。

グレゴリ青山さんは1966年、京都生まれの漫画家・イラストレーター。
デビューのきっかけは、蔵前仁一氏(この方の旅行体験記『ゴーゴー・インド』『ゴーゴー・アジア』は、沢木耕太郎の『深夜特急』とともに、1980年代後半からバックパッカーのバイブルとなり、ブームを起こしましたね)の
同人誌『遊星通信』(のちの月刊誌『旅行人』)に4コマ漫画を投稿したことから。
高校卒業後はアルバイトをし、お金が貯まれば海外に行き、という生活を繰り返していたそうです。

そんなデビューの経緯からか、最初はずっと自身のイラスト入り旅行体験記(『旅のグ』1996年、『ひみつのグ印観光公司』1998年、『旅で会いましょう。大人の週末バックパック』2001年、etc)を書いていました。
これらの旅行記もホントおすすめ。おもしろい、もとい“ほんまおもろい”です。
風変わりなペンネームの由来は、「ローマの休日」のグレゴリー・ペックから。このペンネームのせいで、よく男性に間違われるそうです(笑)。


この人のユーモアと独自の視点は、それまでの旅行記で誰もが認めるところだったんでしょうが、
旅行記以外の題材では初の本として、生まれ育った京都を“いやらしく”そして“いけず”に、さらには“身内ネタ”目線でぶった切ってしまったシリーズの第一弾が、この『ナマの京都』なのでした。

このシリーズを読めば、従来の京都本はあほらしーて読めまへん。なにをすましておいでやすの・・・と(笑)。


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〈高校時代の春休み、料亭でアルバイトをするグレちゃん。京都名物“いけず”を目撃します〉

料亭の裏側では、女将や社員に気を遣いながらパートにいそしむおばちゃんたちの姿があるのです。人間関係ってただでさえ難しく厄介なのに、いけずな上司がいるなんて嫌ですねえ・・・。
高校時代のグレちゃんも、茶わんにご飯をてんこ盛りに盛って怒られてしまいます。
「なら最初からそう教えろーッ」というグレちゃんの心の叫びはごもっともです。


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〈わかりやすい京都語入門もあります〉


京都における王将(もちろん餃子のね)の存在意義を推察し、大きな京都のお揚げさんやデカイ袋に入った番茶をお土産にススメてくれます。そう、大抵の京都の家では上品な緑茶ではなく、番茶をヤカンで煮出してましたね。
26歳で結婚し、東京に移り住んだグレちゃんは、6月に和菓子屋に並ぶ「水無月」が全国的なお菓子ではないことや、とり肉を“かしわ”、ゆで卵を“にぬき”と言わないことにもびっくりだったようです。

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ナマの京都 その2

2010年09月19日 23:44

『ナマの京都』には、懐かしいキャラも登場します。

現在の京都のキャラクターと言えば「たわわちゃん」でしょうか。
東京タワーの「ノッポン」に対抗してか、京都タワー40周年を記念してつくられたこのキャラは結構人気者のようですが、
20年前には京都中を席巻したあの人がいたのです・・・。

1988年に開催された第43回京都国体のマスコット・・・「未来くん」ですっ!

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どうしてこれほど国体の開催が盛り上がったのかはわりませんが、その盛り上がりと比例し、開催の数年前から、京都府全域への「未来くん」の増殖も凄かったものです。
もちろんそのモチーフは「牛若丸」。国体のマスコットとしては全国初でした。
そう、この頃はゆるキャラ((C)みうらじゅん)という言葉もなかったんですねえ・・・。

グレゴリ青山さんは、「不気味なマスコット」と言ってますが、もう一度、京都の(市でも府でもいいんですが)公認キャラとして復活させてみてはどうでしょう。
案外、ゆるキャラブームの今日、“キング・オブ・ゆるキャラ”になれるかも・・・なれないか。



そして出ました、河原町のジュリー!!

この人を知っているか知らないかで、その人の年代がわかってしまうのが悲しいですね。

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〈「未来くん」と「河原町のジュリー」。ふたりは京都随一の心霊スポット深泥池で再会し、再び京都人の記憶の底に沈んでいくのでした〉


「河原町のジュリー」という名前の由来はもちろん、京都出身のスター・沢田研二(鴨沂高校を中退し、ザ・タイガースの正式メンバーに)から。
出自は“ええところ”のボンボンで、身なりをただせば男前なのだと人々は噂し、そして浮浪者としては断然若かったということもあり、そう名付けられたのです。当時、京都ではかなりの有名人でした。

あの頃はまだ、彼らにホームレスなんてスマートな肩書きはありません。浮浪者、いや「乞食」なんて節操のない名前で呼んでいました。
そして、今のように鴨川の橋の下にブルーシートでつくられた小屋もなく、町なかでもホント“お乞食さん”を見かけることも稀だった時代。
一方、今では、阪急河原町店の閉店に代表されるように、一時の喧噪も華やかさもなくなりつつある河原町周辺ですけれど、
「河原町のジュリー」が出没していた30年前の休日の河原町は、京都人にとって疑う事なきハレの場所でした。
そんな賑やかなハレの場所に出現する、異端の人である「河原町のジュリー」の存在は、子どもでなくともなぜか興奮する出来事だったのです。

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ちょうど「河原町のジュリー」が京都にいた頃、横浜では「ハマのメリーさん」という老女の浮浪者がいました。白塗りで、年齢に不釣り合いなフリルのついたドレスを着た老婆です。
進駐軍相手の娼婦のなれの果てとも噂されていたそうですが、1995年冬に忽然と姿を消しました。
『ヨコハマメリー』(監督・中村高寛、2006年)という映画では、実在のメリーさんの写真と、メリーさんを見守ってきた町の人々の証言で、メリーさんとはいったい何者だったのかを追求するドキュメンタリーとなっています。

「河原町のジュリー」も「ハマのメリーさん」も、単なる町のあだ花ではなく、ましてや都市伝説の一部でもなく、実際に実在した人物でした。
同じ時代に違った場所で、異端の人物が町の人々から注目を浴びていたことは、深い意味があるのかもしれません・・・いや、たぶんあるのでしょう。

ちなみに、河原町のジュリーは80年頃でしょうか、役所の人に風呂に入れさせられ(たびたび、入浴はさせられていたみたいです)、それがもとで風邪を引いて死んでしまったというのが通説です。
地元紙では、亡くなったことが記事にさえなったという有名人なのでした。



ナマの京都 その3

2010年09月20日 00:07

『ナマの京都』では、忘れたくとも忘れられない“もっさい”ローカルCMや懐かしい場所も出てきます。

「岩田呉服店」「西村のエイセイボーロ」「お墓の忠兵衛」「山田木材経営団地」。
これらのタイトルだけで、映像の浮かぶ人はまぎれもない京都人です(笑)。
近畿放送時代のKBS京都で放送されていたローカルCMを、味のあるイラストで紹介しています。
この4本のCMを見られないかと、KBS京都に問い合わせたところ、古いCMは処分してない、とのことで、イラストになったそうです。

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ただし、グレゴリ青山さんはKBS京都特有のローカルCMと語っていますが、たぶん他の民放でもこれらのCMはやっていたようにも思うんですが、どうなんでしょう・・・。

ちなみにKBS京都という呼称は1981年からだそうですね。ある年代以上の京都人は今もKBS京都のことを「近畿放送」と呼んでいます。
何かで聞いたことがありますが、放送局名に「京都」を使わず、「近畿」を用いたのには、全国で5番目の民放ラジオ局として、またかつての都に開局した自負からだ、というようなことを聞いたことがあります。自分を少しでも大きく見せたかったのでしょう(笑)。
1981年頃にようやく己の身の丈がわかってきたのでしょうか、KBS京都となりました。今では「京都」でも大きいような気がしないでもないですが・・・。



さて、伝説の映画館「京一会館」には、若かりし頃のグレちゃんも、原チャリに乗って壬生の自宅から通っていたようです。

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京一会館は、かつて一乗寺の曼殊院通りにあった二番館の映画館です。叡電の一乗寺駅を西に行ったスーパーの2階にあり、週替わりで、日本映画を2、3本立ての低料金で上映していました。
京都府立医大の学生だった大森一樹が常連だったことはあまりにも有名で、この映画館に通いすぎて留年してしまったのだとか。
1960年にオープンし、1988年に閉館。後年はピンク映画の上映が多かったそうです。
京都の学生にとっては、映画好きに限らず、安い金額で時間をつぶせる場所でもあり、お世話になった方も多いんじゃないでしょうか。
かつて京一会館のあった場所はスポーツクラブのビルになっていて、斜め向いの書店・恵文社一乗寺店はいつも若い女子で賑わっています。


ナマの京都_20100920001033 〈京大西部講堂〉

西部講堂の建物はずっと変わらないままですが、最近、前の広場が狭くなっちゃいましたねえ。
京大の石垣撤去の際は石垣カフェを設営するという奇妙な抵抗に出た学生たちも、この広場の場合はすんなりと認めちゃったのでしょうか・・・。



しぶちん京都 その1

2010年11月23日 00:17

しぶちん京都 著者・グレゴリ青山 2006年

しぶちん京都 表紙


グレゴリ青山さんの笑える京都本シリーズ第2弾『しぶちん京都』(メディアファクトリー)です。
前作『ナマの京都』同様、書店にあふれた通り一遍のガイドブックに飽きちゃった人、必読ですね。

ただ、『ナマの京都』に比べれば、少しパワー不足なのは否めません(まっ、前作がおもしろすぎたのですが)。
タイトルの「しぶちん」は「ケチ」という意味。「はんなり」「ほっこり」が“ハレ”の京都弁だとすると、「しぶちん」は「いけず」「もっさい」「いちびり」「しんきくさい」「いらち」などとともに“ケ”の京都弁の代表です。

さて、『しぶちん京都』の冒頭は、そのものズバリ「しぶちん夜遊び案内」。
長年のバックパッカーの経験を生かしてグレちゃんが友人を引き連れ、安くて“おいしい(味覚的にも、体験的にもネ)”ところを案内してくれます。「東華菜館」「居酒屋 静」「夜の宮川町」「五条ゲストハウス」・・・。

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もちろん普段の京都人の“生態”もてんこ盛り。

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子どもの頃、家の扉が新しくなり喜んでいたグレちゃんですが・・・。


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大人になって・・・実家の扉がアルミサッシであることに「麻生圭子にバカにされる」と頭を抱えるグレちゃん、最高! でも、悲しいかな、これが京都の現実なのよね~。


前作『ナマの京都』の料亭でのアルバイトに引きつづき、今回は年末の錦市場でのアルバイト経験(老舗の漬物屋かな? さすがに何屋さんかは、ぼかしてますね)も暴露しています。
もちろん欠かせないのは“いけず”なオバチャン。この人たちの口癖は「嗤われるえ」ですが、嗤うことが大好きなのは、まさにこの方たち当人なのです。

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和気あいあいと仕事をする同年輩のアルバイトを横目に、ひとり大奥さんのお手伝いをさせられるグレちゃん。


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京都人のプライドを逆なですると、蛇のようにしつこくネチネチと“いけず”をされてしまうのでご注意を(笑)。



しぶちん京都 その2

2010年11月23日 00:19

今回も「未来くん」の登場です!

過去の人となって久しい未来くんが、京都最後のパラダイス「京都タワー」に潜入します。

数年で街から消えることとなった未来くんにとって、建設時は賛否両論ありながら(ほとんど否だったようですが・・・)40年以上も生きながらえている京都タワーの秘密を探りに行くのです。

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安くない展望料金770円を巡る考察は、さすがグレゴリ青山さんですね。
京都を360度見晴らせる絶好の景観。そして、ここから唯一、見えない建物といえば・・・ですか(笑)。

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子どもの日常の遊び「下駄隠し」や、夏休みの楽しみ「地蔵盆」は、京都や関西ならではのもので、他の地域の人たちにはピンと来ないでしょうね。


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「下駄隠し」の遊び方としては、子どもたちが履いている靴を片方ずつ差し出し、道端にならべます。
そしてひとりの子が、絵にあるような奇妙な歌を歌い順番に指でさしていき、「ブッとこいて、ブッとこいて、プップップッ」の最後の「プッ」でさされた靴を抜いていきます。その歌を靴の分だけ繰り返した後、最後に残った靴の子どもが鬼となります。
鬼以外の子が、町内の道端・・・たとえば水道栓の蓋の中や、雨樋の隙間や、鉢植えの裏などに、靴を隠し、隠し終わると鬼がそれを探すのです。まあ、かくれんぼの靴版ですね。 
もちろん、鬼が探している間、他の子は片足立ちや片足跳びをして、鬼の探す様子を傍らで見ているのですが、興に入ってくると、もう靴下が汚れるのも気にしなくなってしまい・・・、あまり親にいい顔をされない遊びでもあったのです(笑)。


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8月の末(23日、24日に近い土日をあてる場合が多いです)に行われるのが、子どもにとって夏休み最大の行事「地蔵盆」です。
町内毎に、お地蔵さんを祀るのですが、子どもにとってはそんなことは二の次です。宿題のことを、とやかく親に言われることもなく遊び放題の上、一日に二回もらえるお菓子の詰め合わせや、おもちゃの当たるくじ引き、さらに金魚釣りやスイカ割りなど、町内それぞれで趣向を凝らした遊びがあって、夢のような二日間なのです。まっ、夏休みの最後の足掻きでもあったのでしょうが・・・、地蔵盆が終われば、たまった宿題が待っているのです。
ところが今は、少子化の影響もあって、二日間だった行事を一日に短縮したり、子どもの姿が全く見られず、老人の集会の場となっていたりで・・・昔の活気は全くなくなっちゃいましたねえ。





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