カレンダー

2010年09月12日 23:48

カレンダー 著者・ひこ・田中 1992年

カレンダー 表紙_20100912105324

一応、分類としては児童文学らしいのですが・・・、児童文学という肩書きを取り去ったとしても、いい物語です。


あらすじ。
主人公は祖母(文字暁子)と二人で暮らす時国翼。
ちょっとおませでしっかり者で、メンチを切るのと蹴りを入れるのが得意な中学一年生の女の子です。
両親は翼が赤ん坊の頃に、交通事故で亡くなっています。
翼が夏休みのある日、祖母は一泊旅行に出かけます。
そんな、よりによって祖母の留守中に、翼が家の前で人間のカップルを“拾う”ところから物語は始まります。
“拾われた”男女は、食中毒で倒れた谷口極と、彼の元恋人である山上海。
かつて恋人だったふたりは、死ぬつもりで、大学時代を過ごした京都に来ていたところ、食べ物にあたった極が道端で倒れ込み、その場所が翼の家の前だったのです。
戸惑いながらも翼がふたりを介抱した“縁”から、海は翼と祖母の家に下宿することになって、極は近くに安アパートを借り、4人の家族のような交流が始まるのです。


祖母はクーラーが嫌いで、ミキサーよりスリ鉢を使った方がおいしいものが作れると思い込んでいるようなステレオタイプの人間。
(文庫版の後書きで、森毅氏が「主人公の翼クンも魅力的だが、おばあちゃんの文字暁子がすてきだ」と書いていますが・・・いかにもちょっと昔の京都人という感じで保守的に描かれていてウルサイです・・・)。
極は両親に海との結婚を反対され、諦めてしまった意気地なし。ところが5年も経ってから海の前に再び現れ、かつての自分の優柔不断さにあきれ自殺を決意してしまうダメ男です。
海は両親がおらず、施設で育ちました(だから極の両親に結婚を反対されたのです)。働いて、勉強して、2年遅れて大学に入ったしっかり者ですが、なぜか極の自殺につきあおうと京都までついてきたのです。

さらに、翼には祖父(時国和哉)もいます。大学の“センセ”をしていて、数年前に祖母と離婚し、今は老人ホームで一人暮らし(だから翼と祖母は名字が違うのです)。
月に一度、翼は養育費をもらうために、老人ホームへと祖父に会いに行きます。


同級生から「フコーな子」と言われながらも、
新京極で修学旅行生ごっこに興じ、大文字の送り火の日に気になるクラスメイトと出会い、気の合う友人達と学校にダーツ同好会をつくり、気になるクラスメイトであった林哲雄とデートをし、学生生活を楽しんでいます。
時には、よそよそしい極と海の関係をもどかしく思い、大人の世界にちょっかいをだしたがり、幼くして亡くした両親の若かりし頃を、極と海に重ね合わせ、“両親の存在”に思いをはせたりもするのです。

上賀茂橋_20100912105040
〈送り火の日に、翼が気になるクラスメイト・林哲雄と出会う上賀茂橋。北には舟形が、南には大文字が見える〉


この作品は、1992年2月に福武書店から単行本として、また1997年1月に講談社から文庫本として出ていますが、今は絶版のようです。
著者の、ひこ・田中氏は児童文学者らしいですが、相米慎二監督『お引越し』の原作者という方が、わかりやすいでしょう。

ひこ・田中氏の作品としては、『カレンダー』は2作目で、1作目の『お引越し』(1990年)は第1回椋鳩十児童文学賞を、3作目の『ごめん』(1996年)は産経児童出版文化賞JR賞を受賞しています。
この両作品は映画化もされ、『ごめん』(冨樫森監督)は映画としてもよくできていましたが、この『カレンダー』こそ映像化すべきだったのにと思ったりします。

この3作品はどれも90年代の小学生や中学生が主人公として描かれています。
『お引越し』では離婚する両親の間で揺れ動く小学生を、『ごめん』では京都に住む中学生に恋する大阪の小学生を、です。


著者である、ひこ・田中氏は文庫版のあとがきで、物語の設定事情を次のように語っています。
☆『お引越し』は両親にまつわる話めいていたので、今回は事故死ってことで退場してもらおう。
☆けれど、中学生の女の子の一人暮らしってのも造りが難しいので、祖父母と同居させよう。
☆しかしどうもこの祖父がうるさそうなので、離婚して出ていってもらおう。
☆祖母と孫娘の二人暮らしだけでも話が進みそうもないので、彼らにとって未知のキャラたちと出会わせよう。
☆段取りをつけるのは面倒なので、最初っから出会わせよう。
☆そのためには、そうだ、主人公に彼らを拾わせよう。
☆どうしたら拾えるやろうか?

このいい加減な(笑)設定によって、物心つかないうちに両親を亡くした翼は、同級生が「フコーな子」というほど、自分の境遇を不幸と思っておらず、両親がいないことが当たり前として暮らせていたのです。もちろんフツーの両親や家族というものに対しての固定観念もなかったはずです。
ところが、どこまでが著者の作為かわからないですが、話が進まないからと出会わせてしまった「極」と「海」の二人によって、両親や家族というものを“考えざるを得ない”存在になってしまいました。
普段は身近すぎて考えない親子の関係、家族の存在を、「海」「極」という存在によって浮き彫りにさせ、両親の不在が、前作『お引越し』以上に両親にまつわる話になってしまってもいるのです。

烏丸今出川_20100912104802
〈極と海、そして翼の両親の母校・同志社大学がある烏丸今出川の交差点〉


『お引越し』にしても『カレンダー』にしても、少しエキセントリックな設定だけに、主人公は明るく、挫けない性根を持ったおませな女の子が必要だったのでしょうし、
そして実際、関西弁をあやつる彼女らは、ミョーにリアルで魅力的でもあります。どうして、こんな女の子が生み出せたのかは残念ながら著者にしかわかりません。

著者は同じく『カレンダー』文庫版のあとがきで、
「八〇年代、この国では『少女論』が結構流行しました。それらを強引にひとっくくりにしてしまえば、異類異形異端としての『少女』の発見です。この社会を秩序立てているものの周縁としての『少女』の価値と意味でしょうか。
それが九〇年代に突入すると消えてしまう。そして九二年の後半辺りから、『ブルセラ』が、九四年から『援助交際』がマスメディアに浮上しています。
メタファーとしての『少女』から、ブツとしての『少女』、制服や体のそこここというパーツを売る、市場経済の中の『少女』への移行。
そうした流れをどうとらえ評価するかは、専門家にお任せしますが、フト考えてみると、この時国翼って女の子は、メタファーとブツの端境期の九二年初頭に登場しています(前作『お引越し』の漆場漣子も九〇年夏だから、そうです)。」
と述べています。

くしくも90年代が終わった2001年には、綿矢りささんの『インストール』が発表され、話題にもなりました。これは、登校拒否の女子高生が同じマンションに住む小学生の男の子と知り合い、チャットで人妻になりきり金儲けをしようとし・・・という話でした。

ケータイやネットの発達で、ブツとしての「少女」が加速して世間に認知されてしまった今、時国翼や漆場漣子のような“少女の物語”は残念ながら、もう出てこないのかもしれませんね。



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ごめん その1

2010年10月23日 00:51

ごめん 監督・冨樫森 2002年

ごめん DVD


まあ、よくもここまでリリカルなかわいい恋物語が描けたものです。
物語は、主人公の精通(!)から始まっているのにね(笑)。

原作は、ひこ・田中著の同名小説『ごめん』(1996年、偕成社)です。



大阪の小学校に通う6年生のセイこと七尾聖市(久野雅弘)。
祖父母の住む京都上賀茂の漬物屋にお使いに行った際、偶然居合わせた気の強そうな女の子に一目惚れをします。
それが中学2年生のナオコこと瓜生直子(櫻谷由貴花)でした。

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そしてセイは初恋と時を同じくして、クラスで初めて「おとな」にもなっちゃうのです(映画の中では・・・「おしる」!! 小説では「大事な大事な素」っていう・・・アレが出ちゃったのでした(笑))。

漬物屋で耳にした「ウリュウ」という名字を頼りに電話帳で家を調べたり、漬物屋のおばちゃんに聞いたりしてたどり着いたのは喫茶店。
ナオコは喫茶店を営む父親(斎藤歩)とふたり暮らしで、商売に熱心でない父親を手伝うエライ中学生なのです。
年上の女の子を好きになった葛藤と、勇気を出して告白したにもかかわらず年下だからと相手にされない虚しさ・・・。

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つれないナオコを振り向かせようと喫茶店に通ったり、忘れたマフラーを返してもらうために海遊館でデートをしますが、
そもそもナオコにとっては恋そのものに関心すらないのです。

セイに残されたのは年齢と距離を乗り越える情熱のみ!

年明けの剣道の稽古始めの日、衝動的に友人であるキンタ(佐藤翔一)の自転車で、京都までの道のりを走ってナオコに会いに行きます。
しかしナオコは、店をたたむ父親とともに父親の故郷である延岡に帰る決心をしていて・・・。

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ごめん その2

2010年10月23日 00:57

まあ、主役のふたりがいい!
セイ役の久野雅弘くんは、今も映画を中心にちょくちょく活躍していますが、この朴訥さが、いうなればヘタウマの巧さとでもいいましょうか。
ナオコ役の櫻谷由貴花さんは、セイ役の久野くんと同じ歳だといいますが、どう見ても年上のしっかり者にしか見えませんね。

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どこにでもいそうなふたりの自然な演技が、見ている方が照れてしまうような幼い恋物語を、胸キュンの切ない物語にしているのです。

そして脇役がもっといい!
「おしる」が出てしまって親の顔を見るのも恥ずかしいはずのセイの両親には、國村隼と河合美智子。

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大晦日の日、家の近くの河原でセイとふたり並んで恋の悩みを聞く父親役の國村隼。
「セイはええ子や。俺が女の子やったらセイに惚れるのにな」「きしょくの悪いこといわんといて」
セイの頭をなで、その手をセイが振り払う繰り返しの場面なんて、ほのぼの度MAXですよ(笑)。

そして母親役の河合美智子が、セイがナオコから借りたピンクのマフラーを巻き「あたし、瓜生!」とはしゃいで、ナオコからかかってきた電話の伝言を学校帰りのセイに言うセリフの場面なんて、カワイイ母親度MAXです!

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さらに祖父母役には、森毅センセイと伊吹友木子さん。森センセイは原作者のひこ・田中氏と交流もあったようですから、カメオ出演というところでしょうが、演技はさておき、存在感はありすぎです。

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上賀茂の冬枯れの感じが、セイとナオコとの恋の距離を表しているようで、
また、終盤、セイとナオコが自転車で二人乗りをして川辺を走っている時の陽差しの弱さが、京都を離れてしまうナオコのもの悲しい心証を表しているようで・・・。

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この少年と少女の物語はハッピーエンドとは言えないながらも、誰もが通り過ぎていった懐かしくも清々しい昔を思い出させてくれるような名作なのです。



ごめん その3

2010年10月25日 00:38

ごめん 著者・ひこ・田中 偕成社 1996年

ごめん 表紙


さて、映画『ごめん』の切ない恋物語にくらべ、小説『ごめん』は、セイと「チンチン」との葛藤がメインです(笑)。

葛藤のシーンがあまりにしつこく、読んでいてウンザリしてしまいます。
このウンザリを無視するように、さらに「チンチン」「チンチン」と文中では畳み掛けて出てくるものですから、
しまいには主人公・セイのつらさが身に沁みて感じてしまうのは・・・作者の狙いなのでしょうか(狙いだったら凄いです)。
まあ、それにしてもしつこすぎですけど(笑)。
映画では、このあたりをサラッと流しているのがいい方向に物語をもっていきましたね。

そして、テレビゲーム好きのセイ、プロレス好きのキンタ、猫に詳しいニャンコ。体が変わり始める男の子の悩みやクラスの気になる女の子のことを話し合える仲の良い3人。
この3人の友情物語も小説の場合は核になっていますが、映画では詳しく描かれていません。

さらに、セイの初恋は映画と同様ですが、大阪まで自転車で行くという映画のクライマックスにあたるくだりは小説にはなく、ナオコの引っ越しもありません。暇ながらも父親の喫茶店の営業は続くのです。


精通や友情や家族といった小説の世界は踏襲しながらも、あくまでセイとナオコの物語を中心に据えた映画『ごめん』における小説からの脚色は、ことごとく当たっているような気がします。


また、映画では職業が僧侶だった父親ですが、小説では平凡なサラリーマンだったり、母親がパート勤めだったりで、いるだけで存在感のあった映画での國村隼や河合美智子ほど、両親は魅力的でもありません。
しかしその代わりに、小説版のナオコの父親はセイにとって頼もしい存在です。「チンチン」の悩みも聞いてくれて(好きな子の父親なのに!)、さらには恋の応援もしてくれるのですから。


原作の発表から6年後に作られた映画を観ると、
まさか作者である、ひこ・田中氏がこの小説を性教育の入門書として書いたとは思いませんが、もう少し、「チンチン」のくだりは、淡泊でよかったのではないかと思ってしまうのです。

まあ、精通という切り口は、この作者でないと書けませんがね(笑)。



お引越し その1

2011年04月18日 02:03

お引越し 著者・ひこ・田中 1990年

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「今度、お家が二つになります。」
両親の離婚をめぐる小学6年生の女の子が主人公の物語。それが『お引越し』です。もう二十年も前に書かれた小説なんですね。

ひこ・田中氏の2作目『カレンダー』(1992年)、3作目『ごめん』(1996年)は以前取り上げましたが、このデビュー作『お引越し』(1990年)も・・・ホント、いい物語です。

1980年代後半から90年代初頭を舞台に関西弁を操る少女を描かせて、この作者の右に出る者はいないです(まっ、そんな小説を書く人は他にいませんが(笑))。

この作品は発表の翌年、児童文学賞として創設された「椋鳩十児童文学賞」の第1回受賞作となりますが、他の同氏の作品同様、児童文学にカテゴライズするには、あまりにもったいない。

しかし、この作品が不幸だったのは、1993年に相米慎二監督によって映画化されたことでしょう(今では映画『お引越し』の存在自体を知る人も少ないのかもしれませんが)。

「翔んだカップル」(1980年、東宝)、「セーラー服と機関銃」(1981年、角川春樹事務所、東映)、「台風クラブ」(1985年、東宝、ATG)、「東京上空いらっしゃいませ」(1990年、ディレクターズ・カンパニー、松竹)と数々のヒット作を生み出していた相米慎二が監督だったこともさることながら・・・、
母親役を演じた桜田淳子が某宗教団体(笑)の合同結婚式に参加するのしないのと、ワイドショーを賑わせていた時期に撮影されていたのが、この小説を原作とした映画だったのです(映画『お引越し』が、現時点での桜田淳子の芸能活動最後の作品となっているようです)。

そして、制作に読売テレビが加わっていたことから、テレビでの映画のプロモーションが精力的だったこともあり、原作の存在感がいっそう薄くなっちゃったのでした。
実際、映画では多くの脚色がなされており、原作の持つ“軽さ”の中にある“深み”が描けていないのが残念なのです。





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